いい話

「幸せをさがす王様」(カンドウ神父)

お日様は昇る。雨も降る。
ぼくはみんなが好きだ。
みんなもぼくが好きだ。
幸せだよ。もちろん。

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S・カンドウ神父
(1897~1955)
カトリック司祭

「幸せをさがす王様」というお話をしましょう。

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美しい妃とかわいい子どもたち、財宝の数々に恵まれた王様の日々の悩みと苦しみは、「自分はまだ幸せというものを味わったことない」ということでした。

「幸せとは何か、どうすれば幸せを手にいれられるのか」

大臣たちに訊いてもわかりません。
学者たちに尋ねてもわかりません。

そこで、著名な占い師を呼んで占ってもらったところ、「この国で最も幸せ者のシャツを着ればわかる」と言います。

ひそかに大臣を遣わし、捜索がはじまりました。
大臣は国中の大金持ちや有名人などを訪ねてまわります。

しかし、金持ちは「幸せ?とんでもない。それより、この国は税金が高すぎる。
そのせいで、私の家では車が三台しか買えないないんだ」と渋い顔をします。

有名人は、「幸せ?何を言っているの。まだ、この国には、私を知らない人が大勢いるのよ」と眉間にシワをよせます。

だれを訪ねても、その口からは愚痴と不平不満が出るばかりです。
この国で最も幸せな者のシャツは見つからず、三ヵ月が徒労に終りました。

疲れ果てた大臣は山村の小道で休んでいたところ、何か楽しげなひとりの若い羊飼いに出会います。

大臣はふとその若者に声をかけたくなりました。
「あの、あなたは、もしかして、いま幸せですか?」

大臣の必死な形相に驚いた若者ですが、目を輝かせて答えました。

「お日様は昇る。雨も降る。ぼくはみんなが好きだ。みんなもぼくが好きだ。
幸せだよ。もちろん」

この人だ!と確信した大臣は「いくらでも金を出すから、あなたのシャツゆずってください」と頼みます。

しかし、それは無理な話でした。
その若者は上着の下にシャツを着ていなかったからです。

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これは、フランス人のカンドウ神父が、幼いころにお母さんから聞いて忘れられなくなった話だそうです。

私も折りにふれてこの話を思い出すことがあります。
と、いうのは私たち人間の多くは、この王様のようではないかと思うからです。

美しい妃やかわいい子ども、財宝や権力を持っていてもいなかったとしても、いまの状態に幸せを感じていなければ王様と同じです。

あの王様のように、いま持っているものの良さを知らない。
あって当たり前だと感じ、大切にもせず、有り難くも思わない。

それどころか、ついつい愚痴や不平が出てくる。
他にいいものがあるだろうと、外を捜しまわり、他人をうらやみ、ねたみもする。そして、ストレスをためる。
そういうことがありはしないかと反省するのです。

物語「青い鳥」で、幸せをもたら鳥が実はすぐ近くにいたように、幸せというものはどこか遠くに存在するのではありません。

すぐ近くにあるのです。
でも、すぐ近くに幸せの青い鳥がいても、気づくことは難しい。
身近なものを大切にし、感謝しなければ、まず見つからないと思います。

幸せというものは、あの若者のシャツのように目には見えず、その人の心の中にあるものですから。