いい話

「貧の友は真の友なり」(宮崎康平氏と妻和子さん)

いつぞや長崎県立図書館に行ったら、「宮崎康平展」をしていました。

ご存じでしょうか。宮崎康平氏は、長崎県島原市の人。

大ベストセラーまぼろしの邪馬台国』で、邪馬台国ブームの火付け役となった盲目の作家・詩人・実業家です。

「島原の子守唄」の作者でもあり、さだまさしさんの恩人でもあります

宮崎康平氏とその妻和子さんの感動的な物語をご紹介します。

33歳で過労のため失明

宮崎康平氏は早稲田大学で森繁久弥氏とともに演劇活動をしていて、脚本家として東宝に入社しています。

しかし、兄が死去したために、故郷の長崎・島原に帰って家業を継ぎ、島原鉄道の常務取締役となりました。

過労のため33歳にして失明。

しかも、失明後は先妻から離縁を突きつけられ、会社は辞任します。

暗闇への招待状を受け取った康平氏は、世を恨み、身の不遇をかこちながら明け暮れていました。

その時に残された子供をあやすために作った「島原の子守唄」がヒットすることになります。

1956年、島原鉄道からの強い要請で、再び常務取締役となりましたが、その翌年に島原大水害に襲われます。

その際に流失した土器の破片を見つけたことをきっかけに古代史に興味を持ち、特に以前からあこがれていた邪馬台国の探求を始めます。

夢を追い続ける夫婦二人の旅

けれども、それは盲目の康平氏ひとりでは決してできないこと。

康平氏を支えたのは、再婚した妻の和子さんです。

目の見えない夫に、和子さんは『魏志倭人伝』『日本書紀』『古事記』などを繰り返し読み聞かせ、立体地図を作ってあげます。

白い杖をつく夫の目となり、九州各地を2人で調査の旅を続けます。

康平氏は会社を退職しましたので、生活は苦しく、家財道具も売り払い、ついには借金生活に落ち込んだといいます。

そうして康平氏の口述を和子さんが書き留める共同作業で、夫婦の夢である「まぼろしの邪馬台国」を著していきました。

すさまじい情熱です。

日本中に「邪馬台国ブーム」が起こる

こうして一九六七年、ついに『まぼろしの邪馬台国』は完成。

発売と同時に、本は大ベストセラーとなり、日本中に邪馬台国ブームを巻き起こすことになるのです。

夫婦で作り上げた夢の本は、第1回吉川英治文化賞に輝きます。

ちなみに、さだまさしさんは、宮崎康平氏をモデルにした「まほろば」という歌を作っています。なかなかいい歌ですよ。

「貧の友は真の友なり」

宮崎康平氏が晩年好んで色紙に書いた言葉に

「貧の友は真の友なり」

という言葉がありました。

 「貧しい時の友達こそが本当の友達だ」という意味ですが、「自分が恵まれない時に、困っている時に、自分のそばを離れないで、そばに居てくれた友達を大事にしなさい」というつもりで書いたのでしょうか。

康平氏が、順境のときも逆境のときも、ともに居てくれたのは妻の和子さんです。

康平氏は和子さんには、「貧の妻は真の妻なり」と感謝していたのです。

ちなみに映画では、吉永小百合扮する和子さんは、こう言います。

「あなたと過ごした毎日は、本当に幸せだった」

貧しく苦しくとも、ふたりで夢を追いかけて歩んだ人生は、ふたりにとって幸せな日々だったのです。