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人の幸福のために常識を覆す
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「宅配便」には、いつもお世話になっています。
日本全国どこへでも、翌日か翌々日にはきちんと荷物を届けてくれます。しかも指定された時間帯に・・・。
本当にありがたいことです。
小包を送るのに昔は「宅配便」ほど便利ではなかったのを覚えています。
もっと日数がかかり、送料がかなり高額でした。
「駅までとりに来てください」という面倒な場合もあったのです。
「これはおかしい」と改革に取り組んだのが、今日ご紹介する「宅急便」の生みの親、小倉昌男さん(ヤマト運輸株式会社元会長)です。
この改革は前途多難でした。
1976年に小倉昌男さんが、若き社長として個人貨物の宅配市場へ乗り出すことを決意表明すると、役員会で猛反対されました。
当時、個人宅配の市場は、郵便小包が独占しており、法律の規制も厳しく、「個人宅配は儲からない」というのが常識だったからです。
しかし、小倉さんは、役員たちを説得し、運輸省(現国土交通省)と粘り強く戦い、現在の「宅急便」を実現させたのです。
「宅急便」によって人々の生活はより便利で豊かになりました。
そして、会社は「宅急便」とともに、一流企業に成長しました。
ここまでは、よく知られていること。
実は、小倉さんは、その後、もうひとつの常識を覆すことにチャレンジしました。
それは福祉の世界の常識です。
1993年に小倉さんは、私財24億円を投じて、ヤマト福祉財団を設立。
1995年にヤマト運輸株式会社会長を退職し、無報酬で障害者の自立支援に当たるようになりました。
その過程で、小倉さんは、「障害者の月給は1万円」という福祉界の常識を知ります。
「これはおかしい。障害者がもっと給料がもらえる経営ができるはずだ」
と、あちこちで訴えるようになりました。
「そんなの無理ですよ。障害者に何万円も月給を払うなんて夢のまた夢。うちの作業所では絶対にできません。そんなに言うなら小倉さん、あなたがやってみて経営のモデルを示してみてください」
と言われました。
そこで、経営から引退したはずの小倉さんは、無報酬で、また経営に乗り出します。
そうして生まれたのが、スワンベーカリーです。
このお店は、1998年に「障害のある人もない人も、共に働き、共に生きていく社会の実現」という理念を実現させるために小倉さんがつくりました。
銀座に第1号店が出来て成功し、いまや全国展開をしています。
では、その経営者、小倉昌男さんの言葉をひとつ選んでご紹介します。
ストレートで力強い言葉です。
いまあなたの前に壁があって、「これは無理だな、できないな」と、たじろぎそうになったとき、前に進むための力になれば幸いです。
「まず実行しなさい。そして、実行しながら考えなさい。失敗したら、そのときはそのとき。その失敗を踏み台に前に進めばいい。やればわかるし、やればできるのです」(小倉昌男)
まず実行しよう!常識という壁があっても・・・。
出典:小倉昌男著『福祉を変える経営 障害者の月給1万円からの脱出』(日経BP社)
●小倉昌男さんは、2005年6月30日、80歳で亡くなりましたが、今でもビジネス雑誌の「尊敬する経営者ランキング」上位の常連です。
●小倉さんの私的なエピソードを最後にご紹介。
実は、小倉さんはクリスチャンでした。もともとプロテスタントの信者でしたが、晩年は「夫婦一緒の教会が良い。妻に自分が合わせる」と、奥様の所属していたカトリック教会に移籍されたそうです。
何万人を率いるリーダー、一流の経営者が、「妻に自分が合わせる」と改宗したのです。常識では考えられない、謙虚で愛情のある決断ではないでしょうか。