教職についていたとき、子どもたちに度々紹介した、感動的な話があります。(泣けます)
NHKの元人気アナウンサー鈴木健二さんの『気くばりのすすめ』から、「ある薄幸な少女」のエピソードです。
久しぶりに読んでまた泣けてきました。
本の6ページ分くらいを短く要約してご紹介します。
ある薄幸な少女
ある薄幸な少女
私(鈴木健二さん)は、津軽の弘前の旧制高校に行った。
時代はちょうど戦争の最中。
戦争が終わったときは、18歳だった。
ある日、一人のアメリカ人牧師が、私を訪ねてきて言った。
「いま日本には孤児がたくさんいます。私たちだけではとても手がまわりません。あなたも、子どもたちの面倒をみてもらえませんか」
私は快く引き受けた。
翌朝、牧師さんがやってきた。
私はその姿を見て、腰をぬかさんばかりに驚いた。
牧師さんは、下は3歳から上は13歳までの浮浪児を68人も連れてきたのである。
18歳の私は、こうして68人の父親代わりになった。
与えられたのは、窓ガラスが割れ放題の兵舎。
私は毎朝3時に起きて68人分の朝食と学校に通う30人分の昼の弁当を作った。
そして夕食も作った。
そのうち津軽に冬が来た。
粗末な兵舎は想像を絶するような寒さだった。
私が板張りの上に寝具をしいて大の字に寝ると、そのまわりに小さな子どもたちが何人も集まって寝た。
肌を寄せ合い、そうして寒さを凌いだ。
私が毎日、必死に面倒を見なければならない68人の子どもの中に、一人の少女がいた。その子は精薄児だった。
名前も年齢も、両親の名も、どこから来たかもわからない。
たぶん、12、3歳くらいだったろうが、やせていて背も低く、おまけに耳が聞こえず、ほとんどしゃべれなかった。
しかし、この少女は68人の中で誰よりも素晴らしい能力を
発揮してくれたのである。
それは洗濯だった。
68人分の洗濯をこの少女は、毎日、朝から晩まで黙々とやってくれた。
洗濯機などない。すべて手洗いである。
彼女の手はしもやけとアカギレで饅頭のようにふくれあがり、しかも血だらけだった。
私はこの少女にに何かお礼がしたいと思った。
しかし、アメ一つ、せんべい一つない生活である。
私が「ありがとう」、小さな子たちが「おねえちゃん、ありがとう」と言うと、おそらく態度でわかるのだろう、かすかに微笑してくれた。
それが、その子にしてあげられるただ一つのお礼だった。
その後まもなく、孤児院を世話する後継者が何人か現われ
私はその孤児院を去った。
その一週間後、少女は、施設の門の前で車にはねられて即死した。
耳が不自由だったあの子は、クラクションの音に気づかなかったのだろう。
だが、私はこの幸薄い少女との交友を通して学んだことがある。
それは神様は、どんな人間にも、1つだけは、他人にない素晴らしい才能を与えてくださっているということである。
あの子は洗濯をすることで自分のもっている才能を発揮した。
あの子はその才能を自分のためにも生かし、67人の子どもたちにも分け与えて死んでいった。
私はいまでも、あの子は、今日も天国のどこかできっと皆の洗濯をしてやっていると信じている。
人の役に立つ才能
鈴木さんは書いています。
「人間の価値とはどのように生きたかの質の問題である。その意味であの子は実に素晴らしい価値ある人生を送ったのである」
才能は誰にでも与えられています。
その才能で早くに活躍する人も、晩年になって開花させる人もいます。
世間の人が誰もが注目する才能の持ち主も、世間の人が誰もが注目することのない才能の持ち主もいます。
才能の多い、少ないはあります。
でも、人の役に立たない才能などない。
才能を使って自分を生かし、人のためにもなるようなことができると思います。
人のために洗濯をする。
人のために食事を作る。
人のために何かできる。
それは素晴らしい才能です。
そんな才能を与えられているのであれば、素晴らしい価値ある人生を送る可能性を私たちはもっているのだと思います。
自分に与えられた才能を役立てよう。
人を幸せにする才能があなたにもあります。(^.^)
【出典】鈴木健二著『気くばりのすすめ』