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「自分が一番不幸」な少女の転機
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前に、歌手・教育学博士のアグネス・チャンさんの講演を聴いたことがあります。
彼女はカトリック信者で、教会でたまに講演をされるのです。
その時に聴いたことと本で読んだことをもとにご紹介します。
アグネス・チャンさんは、香港の中産階級の家庭で6人兄弟の4番目として生まれました。
意外にも、子どもの頃は、落ちこぼれ、しかも自分のことが大嫌いだったそうです。
というのは、幼い頃から優秀な姉たちといつも比較されたからです。
後に女優となった長女は、誰もが認める美少女。
医者になった次女は、学校でいつも成績一番。
三女のアグネスさんは、平凡な子でした。
周囲からは、二人の姉と比べられるために、いつも劣等感をもち、勉強も何もやる気がなかったそうです。
おまけに風呂に入るのも嫌だったので、3週間も入らなかったことがあったとのこと。
「自分が世の中で一番不幸だ」と思い込んでいました。
そんなアグネスさんが変わったのは、ミッション系の中学に入学して始めたボランティア活動でした。
両親のいない子。
足がなくて地面を這う子。
生ゴミをあさる子・・・。
そんな子たちの世話をするうちに、自分も人の役に立てることが分かります。
「ちょっとした努力で喜んでくれる人がいる。自分がどう思われているかなんて、どうでもよくなりました」
と、語っています。
歌手デビューは、そのボランティア活動でおこなっていたコンサートでスカウトされたがきっかけでした。
香港で人気がでると、日本で17歳のとき、「ひなげしの花」で鮮烈なデビュー。
大成功をおさめました。
ところが突然、引退宣言。
2年間、カナダ・トロント大学に留学します。
その後、日本にカムバックしたのですが、うまくいきませんでした。
彼女がやりたかったのは、難民を歌で励ましたり、貧困問題を社会に伝えるボランティア活動でした。
それが彼女の心の原点だったのです。
「メッセージソングを歌いたい」と主張する彼女と以前と同じアイドル路線を求める事務所とは、折り合わず、ついに仕事がなくなってしまったのです。
そのため精神的に追い込まれ、ストレス障害に・・・
歌うことをやめようと思う日々が続きました。
そんな彼女を救ってくれたのは、母の故郷の貧しい子どもたちでした。
母の故郷を初めて訪れるアグネスさんを歓迎するために、子どもたちは彼女の歌を何年も前から練習し、彼女の前で歌ってくれたのです。
その歌声に感激し、「歌をやめてはいけない」と彼女は決意します。
そして、日本に帰り、再び仕事を始めました。
地方のスーパーマーケットへ出かけ、1日3回、大根やトマトの前でも歌いました。
そんな仕事の合間に、ライフワークであるボランティア活動も続けました。
子どもが生まれると、子連れで芸能活動を続けたので、
「子どもを産んだら引退すべきだ」
「子どもを職場に連れてくるなんて仕事軽視だ」
と、世間からバッシングを受けた時期もあります。
それでも、彼女は仕事を続けます。
ほぼ同時期に3人の子を生み育てました。
ボランティア活動も続けています。
現在、日本ユニセフ大使として世界中にでかけ、大学教授としても幅広く活躍中です。
彼女のこの活動のエネルギーの原点は、中学生のときに体験したボランティア活動にあると思います。
「世の中で自分が一番不幸だ」「自分が嫌いだ」と思っていた少女が、人に役立とうとすることで変わりました。
自分も人に喜んでもらうことができる、人を幸福にできる存在だと気づいたです。
人のために何かをして喜んでもらおう。
あなたも人の役に立ち、人を幸福にできる存在です。(^.^)
【出典】産経新聞文化部編『わたしの失敗 2』