絵本『おおきなかぶ』A・トルストイ 再話、内田莉莎子 訳、をふと読み直しました。(これで100回目くらいかな)
ストーリはご存じだと思いますが、大きなかぶをみんなで協力して引っこ抜く、というロシア民話です。
最初おじいさんだけで抜こうとしますが、どうしてもダメ。
おばあさんに助けてもらうのですが、それでもダメ。
孫娘を呼んできて、3人で
「うんとこしょ
どっこいしょ」
とひっぱるのですが、それでもダメ。
いぬ、ねこ、ねずみまで協力して、やっと抜けるという、めでたいお話です。
この話には、子どもだけでなく、大人も学べる教訓的なことがあるのではないでしょうか。
楽しく、教訓的な物語
この『おおきなかぶ』は、小学1年生の教科書に載っていたので、教師の頃、1年生といっしょに勉強したものです。
音読させたり、劇化したりしました。(かぶの役もしました)
「うんとこしょ
どっこいしょ
それでも、かぶはぬけません。」
この繰り返しが、リズミカルで、とても楽しいものでした。
ねずみが ねこを ひっぱって、
ねこが いぬを ひっぱって、
いぬが まごを ひっぱって、
まごが おばあさんを ひっぱって、
おばあさんが おじいさんを ひっぱって、
おじいさんが かぶを ひっぱって……
うんとこしょ
どっこいしょ
やっと、かぶは ぬけました。
抜けた途端、みんな、尻もちをつきながら、床をころがりながら、喜び合ったものです。(1年生ですから・・・)
この物語が、いっそうユーモラスなのは、ふだんは協力しあうはずのない、ねことねずみまでが
「うんとこしょ
どっこいしょ」
と声を合わせ力を出し合ってやっていること。
しかも、そのねずみのおかげで、最後にはかぶが抜けること。
ねずみがいない時には みんなでどんなに頑張っても抜けなかったかぶが、小さなねずみが、一匹加わることでやっとぬけるのです。
なんともユーモラスで、そして教訓的ですね。
小さな自分の力でも、誰かの役に立てるだと希望がもて、うれしくもなります。
私たちの仕事も大きなかぶをぬくこと
さて、この大きなかぶを抜くという仕事は、私たちがするほとんどの仕事と同じだと私は考えます。
自分ひとりで、できる仕事なんて、まずありませんよね。
たとえば、本を出版する仕事もそうです。
原稿を書くのも、取材で多くの人の協力が必要です。
それを本にするには、編集者さん、校正者さん、デザイナーさん、印刷製本業者さんなど、さまざまな人の手をかりなくてなりません。
できた本を流通するには、運搬業者さん、取次業者さん、書店さんなどの力がどうしても必要です。
そしてやっと、本が読者さんの手元に届きます。
私は読者さんの手元に届けるまでが、出版の仕事と考えているので、これがゴールです。
その間、誰かが欠ければ、この仕事は完成しないでしょう。
ですから、一人ではとてもできない仕事なのです。
(皆様、本当にいつもありがとうございます)
身の回りのものは、誰かのおかげ
もちろん出版物だけではありません。
わたしたちの身のまわりにある物、仕事の結果、生み出された物は、ほとんどそうではないでしょうか。
たとえば朝、当たり前のように食べられるパン、牛乳、バター、コーヒー、ヨーグルト、果物など。
自分が作ったわけではありません。
誰かが作ってくれて、誰かが運んでくれて、誰かが売ってくれたからいま食卓にあるんですね。
お前、このうちの一つでも自分一人で作ってみろと言われたら、
お前、このバナナ、今度から産地に行って買って来いと言われたら、
お前、気にいならいから売ってやらないと言われたら、
「えー、冗談でしょ、勘弁してよ」
と笑うしかありません。
こんなふうに、わたしたちの身のまわりにあるもののほとんどは、自分だけでは手に入らないものです。
自分のかわりに
誰かが作ってくれたもの
誰かが運んでくれたもの
誰かが売ってくれたもの、です。
いわば、たくさんの人の
「うんとこしょ
どっこいしょ」
の賜物です。
そう考えて、物をながめてみると、
ひとつひとつに誰かの思いが感じられるかもしれません。
ひとつひとつが、有難い有難いものに思えてくるかもしれません。
まわりの「うんとこしょ どっこいしょ」に気づこう。
きっと感謝の気持ちがわいてきます。(^.^)
【出典】『おおきなかぶ』A・トルストイ 再話、内田莉莎子 訳