「われ未だ木鶏たりえず」双葉山
▼2012年2月9日は、不世出の大横綱、双葉山の生誕100年でした。
双葉山は、高い技術と人格を磨き極めた力士でした。
本場所で通算69連勝、優勝12回、全勝8回などを記録。
その数々の大記録は未だに破られていないものも多くあります。
▼双葉山は寡黙な人でしたが、いくつもの名言があります。
●「われ未だ木鶏たりえず」
70連勝をかけて臨んだ昭和14年1月場所4日目、約3年間勝ち続けてい
た双葉山は、ついに安芸ノ海によって黒星を喫します。
双葉山はいつもと変わることなく、土俵に一礼をして東の花道を下がって
いきましたが、その日の夜、心の師、安岡正篤氏らに宛てて打った電報が
この言葉でした。
「木鶏」とは『荘子』に由来する言葉で、木彫りの鶏のように全く動じる
ことのない最強の状態にある闘鶏をさしています。
無心の境地に至れなかった自分を戒めたのす。
この謙虚さによって相撲道に対する更なる精進を重ね、連勝記録がストップ
した後も3度の全勝優勝を含む7度もの優勝をすることになります。
●「後の先」
双葉山は生涯1度も「待った」をしなかったといいます。
立ち合いでの相手を受けて立つ姿勢は、一見、立ち遅れているように見えて
も、組んだときにはすでに先手を取っています。
それが「後の先」の所以です。
双葉山の右目は、幼い頃の事故でほとんど見えない状態でした。
しかし、双葉山は現役時代、そのことを誰にも悟られぬようにして土俵人生を全うしています。
また、回船業の父の手伝いをして時に事故で右手小指も失っていましたが、それを言い訳にすることはありませんでした。
立ち合いに「待った」をせず、「後の先」を完成させたのも、自分のハンディを乗り越えるために生み出されたものであったそうです。
●「稽古は本場所のごとく、本場所は稽古のごとく」
常に真摯な姿勢で相撲道と向き合い続けた双葉山の言葉は、強い説得力を持っていました。
その双葉山が親方となり、弟子たちに説いていたのがこの言葉です。
稽古場での時津風親方(双葉山)は、ほとんど技術面のことを口にせず、
「稽古は本場所のごとく、本場所は稽古のごとく」を指導理念とし、
「心技体」ではなく「心気体」を強調していたそうです。
双葉山は、亡くなるまでの25年間親方を務め、1横綱、3大関を含む多くの関取を育成しました。
▼言葉が後世に残るのは、行動がともなっていた人だけです。
謙虚な心で、常に精進を重ねた双葉山の言葉には、正々堂々とした日本の国技の心があるように思います。
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【出典】双葉山 定次(著)『双葉山定次―相撲求道録 (人間の記録 (95)) 』 「日本経済新聞」2012年2月8日