私の歩みはゆっくりだが、道をひきかえすことは決してしない。
エイブラハム・リンカーン(1809~1865年 アメリカ)
リンカーンの失敗の経歴
リンカーンは、アメリカのケンタッキー州で、貧しい農民の子として生まれました。9歳、母を亡くし、貧しかったので、学校に行くことがほとんどできず、自分で本を読んで勉強しました。
22歳で家をはなれ、船でものを運ぶ仕事やお店の経営など、いろいろな仕事をしました。
政治に興味が出てきたのはこのころです。法律の本を読んで勉強しながら弁護士になり、州議会議員に立候補するようになりました。
リンカーンは非常に失敗が多かった人ですが、あきらめずにチャレンジし続けました。
彼の失敗の経歴を上げてみましょう。
22歳、事業に失敗し、無職になる。
23歳、州議会議員選挙 落選する。
25歳、再び事業に失敗する。
26歳、恋人を亡くす。
27歳、神経衰弱になる。
28歳、州議会議長選挙で落選する。
31歳、大統領選挙で落選する。
34歳、下院議員選挙で落選する。
39歳、下院議員再選挙で落選する。
40歳、国有地管理局長選挙で落選する。
46歳、上院議員選挙で落選する。
47歳、副大統領をめざすが失敗する。
49歳、上院議員選挙で落選する。
最も偉大な大統領として
このような失敗・落選を重ねながら、51歳のとき、アメリカの第16代大統領に当選したのです。
大統領になった後は、当時、アメリカで奴隷として働かされていた黒人たちを自由にしようと働きました。
それに反対した南部の州が、アメリカから脱退するということになり、北部と南部の間で戦争になってしまいました。
その結果、リンカーンたち北部が勝ち、リンカーンはゲティスバーグという町でおこなわれた戦没者墓地の奉献式において約2分間の演説をしました。
演説をしたときは、ほとんど注目されませんでした。
しかし、新聞記事として文字になったときに、広く多くの人の共感を呼び、リンカーンの最も優れた演説、歴代大統領の中でも重要な演説として後世に残ることになりました。
特に「人民の、人民による、人民のための政治」という言葉。私たちの国は、人はみな平等であり、ゆえに私たちは、私たちによって、私たちのために政治を守っていかなくてはいけないという民主主義の考えをこの言葉で宣言したのです。
振り返ってみるとリンカーンの人生は失敗の連続でした。
しかし、現在はアメリカの最も偉大な大統領として尊敬されています。
私たちも一度や二度の失敗であきらめないようにしましょう。
成功は、失敗と挑戦の先にあるのです。