「朝は必ず来るよ!」 尾畠春夫
大分県日出町の尾畠春夫(1939年~)さんは、2018年8月15日に山口県周防大島町で行方不明の2才児を救出して、全国的に有名になったボランティア活動家です。
この時、78歳でした。
この人の言葉、生き方、実にユニークです。
自然体で、謙虚で、前向きで、ボランティアに関心のない人でも、きっと参考になることがあるでしょう。
尾畠さんってどんな人?
尾畠さんは、大分県の貧しい家庭に生まれ、小学生の時から近所の農家に奉公に出て、28歳のとき別府市内に鮮魚店を開業しました。
60歳頃からは、ホームグラウンドとしていた由布岳登山道の整備などのボランティアを開始。65歳からは本業だった鮮魚店をやめ、余生をボランティアに捧げています。
東日本大震災や新潟県中越沖地震や大雨土砂災害…など、本当にたくさんの場所でボランティア活動してきました。
2016年には大分県津久見市の台風被害で行方不明になった2歳の女の子も発見しています。
ちなみに、活動費は自分の月約5万5000円の年金から捻出。軽ワゴン車に食料や水、寝袋などの生活用具を積み込み、助ける相手側からは力を借りないことが信条です。
「自己完結するのが真のボランティアだ」と語っています。
好きな言葉は、「朝は必ず来るよ」
これまでも様々な被災地に足を運び、ボランティアをしてきた尾畠さんが、被災者にかけていた言葉です。
希望の持てる言葉ですね。私は「朝の来ない夜はない」という言葉を連想します。
これは、小説『宮本武蔵』『新平家物語』など知られる国民的な作家、国民的な作家である吉川英治が座右の銘としていたものとも、乞われて色紙に書いたものだとも言われます。
意味としては両方とも「いまは暗くて辛いときだけど、必ず夜は明けて、朝日が射してくる、だから希望をもってがんばろう」ということでしょう。
「朝の来ない夜はない」はいかにも作家の重厚な言い方であり、「朝は必ず来るよ」は、いかにも尾畠さんらしい親しみの持てる言い方と思います。
他にも、尾畠さんの言葉をご紹介しましょう。
ボランティアの動機・夢
尾畠さんがボランティアをしている動機は何でしょう。
それは、「学歴のない自分がここまでやってこられたのは社会のおかげ。世間から貰った恩を万分の一でも返していきたいから」。
謙虚さ、感謝の心があふれています。
定年を迎えて仕事を引退する世代に向けて、励ましのメッセージをもらえませんかと頼まれてこう答えました。
「やっぱし夢を持ち続けるっちゅうことじゃないですかね。夢を持ったらそれを目標に立てて、計画を立てて、迷うことなく実行するのがいいんじゃないですか。私はそうしてるんです」
尾畠さん自身の夢は、「東日本大震災で被災した東北の仮説住宅が全てなくなって、みんなが元の生活に戻ること」
その日が来たら、昔のように浴びる程お酒を飲みたいそうです。
その夢が叶うまで禁酒をしていて、8年以上も酒を一滴も飲んでいないのです。
さらに、尾畠さんは、「最低でも100歳までは生きたい!」「ボランティア活動は、体が動く限り続けたい」と言われています。もう尊敬するしか、ありません。(笑)
健康の秘訣
2018年まで健康保険証は11年使用していないとのこと。大病は40歳の頃の腸捻転だけ。
自宅にいる時は毎日8kmほどジョギングをして、ボランティアで動ける身体を鍛えています。
健康の秘訣は、体にいいものを食べること。
タンポポ、オオバコ、ドクダミ、ヨモギなどの野草を集め、茹でて酢醤油で食べています。桑の葉が特にうまいといい、この食生活は登山を始めた40歳の頃から続けているそうです。
かつてはヘビースモーカーでピースを2箱吸っていたのですが、当時高校生の孫に、「65歳を過ぎると体力が急激に落ちるから絶対にやめろ」と言われ、孫の言うことは天の声だと思い、その場ですべて燃やしたこともあったそうです。
好きな格言は、「笑う門には福きたる」
笑顔や冗談が好きだという尾畠さん。笑いも元気の秘訣です。
ちなみに、あるテレビ番組で、小倉智昭キャスターはその精力的な活動に体調を心配し「血糖値とか血圧とかコレステロールとか人間ドックに入って調べたりすることありますか?」と聞くと、
尾畠さんは「悪いところは3か所あります」とし「顔が悪いんです。色が黒すぎます。足が短すぎます。その3か所です」と返しました。
自然体で、ユーモアがあって、謙虚で、前向きで、優しくて、パワフル。すごい人です。
(写真は大分県日出町の海)