春風や闘志いだきて丘に立つ 高浜虚子
春風と聞いて思いだすのは、この有名な句です。入学、進学、入社など、人生の新たな節目によく紹介されますね。
小高い丘の上に立ち、眼前に広がる景色を眺めながら未来を思う。
その時、湧き上がる熱い思いが「夢」や「希望 」ではなく、「闘志」という力強い言葉で表現されています。
この句を詠んだ虚子は、正岡子規が創設した「ホトトギス」を継ぎながらも、一時小説家を志し、俳壇から遠ざかっていました。
その間の俳壇の主流は、河東碧梧桐を中心とする新傾向俳句でした。これに対峙し、伝統を守るために、俳壇復帰への決意を表した句です。
「春風」という季語は、暖かく柔らかに吹く風のことで、この言葉自体に力強さは感じられません。
けれども春風は、人生の丘に立つ人を勇気づけ鼓舞する働きをもつのではないでしょうか。
私も、日々の生活の中で、そんな言葉を発することができればと思うのです。
言葉が人生を変える
言葉には、春風のように人の心を暖かく励ます力もあれば、冬の北風のように冷たく凍えさせる力もあります。
例えば、人から優しい言葉をかけられれば、明るく穏やかな気持ちになります。励まされれば、前向きに頑張ろうと思えます。
逆に厳しく否定的なことを言われれば、暗い気持ちになり、自信ややる気が萎えてくるものです。
私は、一般の方に、「前向き・肯定的・感謝の心で元気に生きる」というテーマで講演をさせていただくことがあります。
元気で幸せな人生を送るためのヒントをいろいろとお伝えする中で、第一にあげるのが、「自分の言葉(口ぐせ)を変える」ことです。
今日、今からできて、お金もかからない効果抜群の方法だからです。
言葉には、人の気持ちを変え、行動を変え、人生を変えるすごい力があります。
特に親の言葉が子どもに及ぼす影響は大きいことを説明するため、ある心理学のたとえ話をします。心の中に二つのコップがあると想像してもらうのです。
一つは、きれいな水が入ったコップ。
もう一つは、泥水が入ったコップ。
もし、親が子どもの心を濁らせるような言葉「あなたはダメな子」「〇〇ちゃんより出来が悪い」「どうせ、できない」「どうしようもない子」など、否定的な言葉を言っていると、コップに濁った水がたまっていきます。
そして、いつか泥水があふれ出て、親やまわりの人にも同じような否定的で厳しいことを言うようになります。
あるいは、荒れた態度、暴力的な行動をとったりするようになるのです。
逆に、子どもに「あなたなら、できるよ」「すごいね」「よくできたね」「(失敗したけど)いい勉強になったね」など前向きで肯定的な言葉を言ってあげると、もう一方のコップにきれいな水がたまってくるのです。
あるいは「ありがとう」「おかげで助かるよ」という感謝の言葉、「大好きだよ」「大切な子だよ」「宝物だよ」など愛のある言葉も、そうです。きれいな水がどんどんたまってくるのです。
そして、いつしか水があふれ出て、親やまわりの人にも同様なことを言ったり、思いやりある行動をとったりするようになるのです。
このような言葉の影響は、もちろん上司や部下の関係でも顕著ですし、友人・同僚関係でも起こります。
自分の言葉が自分を変える
さて、言葉で人は変わっていきますが、自分の発した言葉で一番影響を受けるのは誰でしょうか。たぶん自分です。
自分の言葉を一番多く聞いているのは、自分だからです。
例えば、同じ年齢でも「もう〇歳だから(できない)」が口ぐせの人と「まだまだ〇歳だから(できる)」が口ぐせの人と、どちらが若々しく魅力的で行動的になっていくかというと、圧倒的に「まだまだ(できる)」の人です。
一般に言い訳や愚痴、人の悪口、陰口は、自分で自分の心を暗く後ろ向きにしてしまいます。その結果、人間関係や仕事はだんだんうまくいかなくなります。
逆に、前向き・肯定的・感謝の言葉を口ぐせにすると、様々なことが良くなります。
ある講演会の後で、拙著『元気がでる魔法の口ぐせ』(PHP研究所)という本(現在は電子書籍のみ)を読まれた八十四歳のご婦人が、次のように言いに来てくださったことがあります。
「中井先生、あの本を五年前から毎日のように読んでいます。すると、毎日明るく元気に生活できるようになり、人間関係も良くなり、人生が変わりました。本当にありがとうございます」
この方に改めて教えられました。やはり、いくつになっても言葉の使い方次第で、人は幸せになれるのだと。
自分や人を幸せにする言葉
自分を幸せにする言葉は、人も幸せにします。私が日頃、口ぐせにするように心がけている言葉を五つほど紹介させてください。
〇「ごめんなさい(すみません)」
「ごめんなさい」と謝ることができると、自分のもやもやした気持ちが落ち着きます。人間関係は良くなります。ただ、素直に自分の非を認めたり、ケンカした相手に面と向かって謝ったりするのは難しいものですね。そんなときは、まず神仏に向けて謝ると、謙虚で素直な気持ちがわいてきます。
〇「いいですか」
「今、お時間よろしいですか」「ちょっと窓を開けていいですか」「この席、座っていいですか」などと、相手、まわりの人を配慮し許可を求めます。それはその人の存在を認め、尊んでいるからです。この一言で、人間関係でつまらない摩擦がなくなり、互いに思いやりがもてるようになります。
〇「よかった(ね)」
起こった出来事を「よかった」と思うと、よかった出来事になります。過去の事実は変えられませんが、解釈は変えられるのです。「(失敗をしたけれど)よかった」と言えば、「(失敗したおかげで)いろいろと学ぶことがあった。成長できた」と、失敗も財産に変わります。また、他の人に良いことがあった場合、「よかったね。(おめでとう)」と一緒になって喜ぶようにしています。
〇「はい」
「はい」という返事は、拝啓の「拝」で、相手を敬う肯定語です。「はい」と発することで、自分の気持ちが素直になります。聞いている相手や周りの人たちも、明るい気持ちになります。「はい」という言葉は、人を幸せにできる、一番短い言葉です。
〇「ありがとう」
これは最強の言葉ですので、少し多めに説明をさせてください。
「ありがとう」は最強の言葉
元気になり、幸せになれる言葉は、まだまだたくさんあります。その中で一番は、「ありがとうございます」という感謝の言葉でしょう。
感謝の言葉は、私たちの心に明るい気持ちを引き起こし、人間関係を良くし、幸運をもたらすのです。
拙著『感謝の習慣が、いい人生をつくる』(PHP研究所)に詳しく書いたことですが、一般に感謝には、三段階あります。
第一は、良いことがあったら感謝する。
これは、当然ですね。
第ニは、当たり前と思えるようなことに感謝する。
この習慣があれば、当たり前のことばかりのような平凡な日々が有難いことの連続として輝いてきます。
例えば、今日という当たり前のような時間を「生きたい!」と願って死んでいった人はたくさんいます。どんなにお願いしても、お金を費やしても、頑張っても、与えられなかったのです。そんな貴重な時間を今、私たちは与えられているのです。
第三は、辛く苦しいときにも感謝する。
なぜ辛く苦しいときに感謝するのか、これには少し説明が要りそうですね。
苦しいときにも感謝する
私自身は、何か問題や困難があれば、こう考えるようにしています。
これは自分が人間的に成長し、より幸せになるために与えられた試練だ。神様は乗り越えられない試練を与えることはない。同時に力と助けも与えてくださる。だから、きっとうまくいく。さらによくなると。
例えば、教師のとき、クラス内で問題行動を起こす子どもがいて、担任として苦しみ悩んだことがあります。
問題の原因をその子、親、他の教師のせいにしていると、いつまでたっても解決せず、怒りばかりが湧いてきました。
そこで、人のせいにせず、その問題を与えられたことに感謝して事に当たりました。すると、問題の根は教師としての自分の未熟さだったことに気づかされたものです。
自分が反省し改めながら指導すれば、その子はより良くなりました。
与えられた試練は、自分を成長させてくれる贈り物だったのです。
また、感謝することで、まわりの人の愛に気づくこともあります。
例えば、ある人が重病になり、苦悶のなかで考えました。
こんな自分なのに生かされている。なんて有り難いことだろう。こんな自分なのに大切にされている。なんて有り難いことだろう。これまでどれだけたくさんの愛やお恵みをもらってきたことか。
自分も命が続く限り、愛を返せるように生きていく。たとえ、言葉一つ、微笑み一つであっても、愛をこめて。
まわりの人に春風のような言葉を
たとえ気持ちが沈んでいても、身近な人への暖かな言葉を発するのを忘れないように心がけたいものですね。
家庭や職場、どこでも「ありがとう、おいしかった」「ありがとう、助かった」など。そのたった一言で、笑顔の花が咲きます。
他にも、「さっきは、ごめんね」「ちょっといいですか」「おめでとう。本当によかったですね」「はい、わたしがやらせていただきます」など。
そんな春風のような、さわやかな言葉が、自分の気持ちを明るくしていきます。
まわりの人にも、あなたの謙虚さ、誠実さ、思いやり、前向きな気持ちが伝わっていきます。
そして、まわりの人もあなたもいっそう幸せになれるのです。
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「れいろう」2018年3月号の拙稿より