エッセイなど

マザーテレサ著『愛のあるところ、神はそこにおられる』書評

マザーテレサ著『愛のあるところ、神はそこにおられる』(女子パウロ)の書評を書きました。

2019年2月9日付「図書新聞」です。

マザー・テレサと本書について

 著者マザーテレサは、一九一〇年スコピエ(現在のマケドニア)で生まれ、一九二八年ダブリン所在のロレット修道会に入会した退会し、貧しい人びとの中で最も貧しい人への奉仕するために、コルカタで神の愛の宣教者会を創設した。

一九七九年ノーベル平和賞を受賞し、一九九七年の没後直ちに列聖調査が開始、二〇〇三年に列福、二〇一六年に列聖された聖人である。

 マザーテレサは、修道会家族のすべてのメンバーと、神の愛の宣教者会のカリスマを分かち合いたいと望む人々に、たびたび講話をし、ときには訓戒の言葉を書き送っている。

この本に収録されたおもなものは、それらから抜粋した言葉、また公式スピーチや公式書簡からのものである。

 編集をしたのは、二〇一四年に邦訳出版された『マザーテレサ来て、わたしの光になりなさい!』(女子パウロ会)と同じブライアン・コロディエチュック神父である 。

彼は一九七七年マザーテレサと出会い、一九八四年神の愛の宣教者司祭会の創立と同時に入会し、彼女の没年まで二十年間を共に歩んだ司祭であり、現在、マザーテレサ・センター長を務めている。

この書は、マザー・テレサと神との関係、および彼女を神の召し出しを受け入れた後の知られざる内面を描いたものであった。

 その続編ともいえる新刊『愛のあるところ、神はそこにおられる』では、人生のいくつかの根本問題について、マザーテレサが信じ、実践し、教えたことを明確に伝えている。

誠実で分かりやすい言葉と裏表のない一貫性のある信仰生活や行動によって、現代の人々に真の平和と幸せがどのようなものであるかについて確信をもって述べている。

本書では構成上、マザーテレサの言葉が五つのテーマに分けて編集されている。そこで以下に、各章で印象的なマザーテレサの言葉を引用して、少しだけ解説を加えよう。

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Ⅰ 神は愛です

「神とは愛であり、あなたを愛しておられ、わたしたちは神にとって大切な存在です」(本書16頁)

マザーテレサにとって重要な二つの言葉は「神」と「愛」だった。

「神」はまさしく「愛」そのものであり、神の愛なしには、わたしたちの存在も人生もあり得ないと確信していた。

その神が愛ゆえに愛のあるところに存在するという考えは、この本の中心テーマでもある。

Ⅱ イエス

「わたしにとってイエスは神です。イエスはわたしの浄配です。イエスはわたしの命です。イエスはわたしの唯一の愛です。イエスはすべてにおいてすべてです。イエスはわたしのすべてです」(本書64頁)

イエス・キリストは、人間と神の本性を有し、人間の姿で降臨した神であった。

マザーテレサは、目の前の貧しい人や重病人に喜びと真心をもって奉仕しながら、神であるイエスへの愛を実践した。

それは彼らのなかに「わたしの兄弟であるこれらの最も小さい者のひとりにしたのは、すなわち、わたしにしたのである」(マタイ25:40)と言ったイエスを見出すことができたからである。

Ⅲ 私が愛することをじゃまするもの

「すべてはわたしの意志にかかっています。わたしが聖人になるか罪びとになるかは、わたしの責任です」(本書127頁)

人間にとって愛である神と親しさを邪魔するものは、罪であることをマザーテレサは明確に述べている。

しかし、神はわたしたちが痛悔すれば、すべての罪をゆるす慈しみにあふれた方であることも述べる。

Ⅳ 行動による信仰は愛

「『あなたを愛しています』というだけでは不十分です。十分ではありません。何かをしなければなりません」(本書334頁)

マザーテレサは信仰をともなった行動によって愛を表した。

その愛は、イエスが十字架を担ぎ亡くなったように、痛みのある愛であった。

ゆえに彼女は、イエスはわたしたちにも行動による愛、痛みのある愛を望まれていると説く。

Ⅴ お互いに喜びの源でありなさい

「喜びにあふれる姉妹は神の愛の陽光のようであり、永遠の幸せの希望、燃える愛の炎です」(本書520頁)

喜びは、まなざし、表情、振る舞い、行動などに表れるが、マザーテレサは特にほほえみが大切であるという。

「つねにほほえみをもってお互いに出会いましょう。ほほえみは愛の始まりであり、一度お互いを愛し始めれば、自然に何かをしてあげたくなります」(本書530頁)などと。

 ごく一部だけの紹介になったが、六百頁を超える本書には、マザーテレサの言葉が満載されている。

愛に満たされ行動する勇気が湧き上がってくる

本書を開けば、きっとマザーテレサの素晴らしい言葉と精神に出合える。

マザーテレサが勧めたように、沈黙の中で祈りの材料としたら、さらに豊かな実りがあるだろう。

心が何かを求めて渇いている時、今の自分に何かが足りないと思う時、その時、その時に出合ったマザーテレサの言葉を通して、心は次第に愛に満たされ、行動する勇気が湧き上がってくるに違いない。

写真は、マザー・テレサ大聖堂(コソボ共和国 首都プリシュティナ)