長崎市で教師だった頃、地元の長崎新聞のコラム「うず潮」に月に1度、3年間ほどエッセーを連載させていただいていました。
この得難い仕事を通して、私は文章を書くことにだんだん魅せられていきます。
当時は思いもよらなかったのですが、このエッセー連載を機に、教師をやめて、文章を書く仕事をすることになります。
その後、幸運にも本を何十冊も出版していただけるようになったのですが、ご紹介する新聞記事は、その原石となったのです。
ファミリ-フォ-カス
「ファミリ-フォ-カス」とは、新聞を活用した家庭教育の一つである。今、欧米を中心に世界中で広がりつつある。
やり方は簡単である。子供といっしょに新聞の興味深い記事や写真を見ておしゃべりをするだけ。家族との会話の中で、子供は新聞が提供する社会的な事象に興味をもち視野を広げるようになる。そして次第に自ら思考し判断する力をつけていくのである。
私が担任する小学二年生のクラスでは、昨年六月から「ファミリ-フォ-カス」を続けている。子供たちは、その時の記事をはりつけた「新聞スクラップ」を週に一度担任へ提出する。
先日、K君の「新聞スクラップ」には、次のような感想がそえてあった。
「この新聞の子どもたちはわらってうつっているけれど、すごくかわいそうです」
K君が選んだ記事は「厳寒のカフカスで チェチェン避難民-寒さが子供を直撃-」であった。
「ぼくたちがすんでいるところよりも、もっとさむいところにすんでいるのに、こたつやスト-ブもないそうです。せんそうのためにこんな人がたくさんいるそうです。ぼくはときどきおかしやおもちゃを買ってもらっているけれど、この子たちのことを思うとがまんしようという気もちになりました。本当にせんそうがなくなって平和なせかいになってほしいです」
三日後、Kくんはお母さんと妹とで買い物に出かけた。「妹はおかしを買ったけど、ぼくは買いませんでした」と、その日の日記に書いていた。やはり、新聞で見た、そして話に聞いたあの子供たちのかわいそうな笑顔が忘れられなかったらしい。
新聞は社会の縮図であり、社会への開かれた窓でもある。次代を担う子供たちが、しっかりした目で情報を読みとり、社会に主体的に働きかけていく大人になるために、新聞は重要な教材である。
家庭でも学校でも、子供たちの「生きる力」は身近なところから育てていけるように思う。
2000年3月5日「長崎新聞」
読み聞かせ
「人の話をしっかり聞いてほしい」と子供に願わない親はまずいない。情報の多くは聞くことで得ることができる。また、人の話を聞いて相手を理解することは思いやりにもなる。学力を獲得するという面でも、聞く力は、読み書き以前の基礎的な能力である。
ところが、この頃の子供は、聞く力が弱いと言われる。自分本意のおしゃべりは得意だが、落ち着きがなく、人の話をきちんと聞く力に乏しい。ことにテレビやファミコン漬けの子供にその傾向は強い。
「しっかり話を聞きなさい」と何度注意しても、一時的にはできるが長続きはしない。聞く力の土台となる集中力や持続力が弱いからである。
そこで、お薦めしたいことがある。ご家庭や学校での「読み聞かせ」である。
時間は十分ほどでいい。絵本や童話を読んでやる。続けると、必ずや子供に聞く力や集注中力が養われる。感動をさそう物語なら、情感豊かな子供に育つ。文字や本に興味をもち、読書好きの子供にもなる。
先日、「読み聞かせが高校球児を伸ばす」という新聞記事を読み、高校生でもそうか、と思った。静岡県のある高校野球部では、週に一度朝、講師による小学生向け絵本の「読み聞かせ」を続けてきた。「守備のフォ-メションを説明した時、正確に理解できない子が多かった。きちんと人の話を聞き、イメ-ジする訓練が必要と感じた」というのが動機である。
望外の成果があったそうだ。ミ-ティングでの聞く態度が養われ、絵本での感動体験を通じて優しさを学び、チ-ムの結束力も高まった。試合中の集中力と落ち着きが増し、昨夏の県大会では、準優勝という快進撃につながった。
昨年度、小学二年生の私のクラスでは、「準優勝」はしなかったが、毎度毎度、子供たちの輝く瞳があった。子供たちは楽しい話には笑い、悲しい話には涙を流した。
「読み聞かせ」は、子供たちの豊かな心を育て、将来の「快進撃」につながる教育なのである。
2000年4月4日「長崎新聞」