失敗ではない。うまくいかない方法を一万通り発見したのだ。
トーマス・アルバ・エジソン(1847~1931年 アメリカ)
エジソンは電球や蓄音機(音を録音したり再生したりできる機械)、活動写真(映画の元祖)など、人の役にたつものをたくさん考えて作り、「世界の発明王」とまで呼ばれるようになった人ですね。
実は、エジソンの学歴は最低。小学1年生退学なのです。
「脳がくさっている」と言われた小学一年生
エジソンが小学校に入学してすぐのことです。
「1+1=2」という足し算を、先生がねんどのかたまりを使って教えてくれたとき、疑問の思いました。
「ねんどのかたまり1つと1つをあわせれば、大きいかたまりが1つできるだけじゃないか」と・・・。
先生は、説明しますが、どうしても納得できません。
その後も、学校で教わることが納得できなくて、しまいに先生から「おまえの脳はくさっている」とまで言われたのです。
泣く泣く家に帰ったエジソンから、そのことを聞くと、母親は、「うちの子の脳はくさってなどいない」と抗議して、学校をやめさせたのです。
3か月で小学校をやめたエジソンは、昔先生をしていた母親に勉強を教わるようになりました。
母親はエジソンが納得いくまで説明してくれましたし、彼の能力や好奇心を否定することなく育ててくれました。
家でいろいろ実験もさせてくれて、エジソンはどんどん化学や物理が得意になっていくのです。
失敗しながら新しい発明を成し遂げる
その後は、働きながら、ほぼ独学で勉強と実験を続けました。
その結果、生きている間に、エジソンは1300以上もの発明をしましたが、どれひとつとして、カンタなものはなかったようです。
たとえば、電球の発明では、長時間もつフィラメント(電気を流し、光をはなつ部分)をさがすのに、6000種類もの材料をためしたのです。
手あたりしだい、いろいろためしたが、いい材料は見つからなくてね、たまたま家にあった扇子の骨組みを使ったら、なんと200時間もちました。
それまでの材料では45時間くらいしかもたなかったのだから、すごい記録でした。それから、エジソンは世界中からあらゆる竹をとりよせて、ようやく日本の京都で、1000時間以上もつ竹を見つけることができたのです。
あきらめないで、自分の好奇心がみたされるまで試しつづける――それが、エジソンが発明王になれたゆえんでしょう。