人生は、演劇の舞台にたとえらえます。
その理由はまず、演劇が現在進行形の芸術だからでしょう。
演劇の場合、劇の途中では失敗しても「カット」も「やりなおし」もしてもらえず、スト-リ-はどんどん進行していきます。
そして、決して引き戻ることも繰り返すこともできません。つまり演劇は人生と似て、一期一会の営みなのです。
さらに、映画やテレビと違って演劇は、観客との生きた交流の上に成り立つ芸術であり、その点も私たちの人生に似ています。
この点はわかりにくいかと思われますし、私たちと神様の関係を知るため重要なので、少し説明を加えましょう。
観客との交流のために
私は大学生の時、演劇部に所属しました。アマチュアであっても、公演では一般市民にも劇場までご足労いただきます。しかもお金を払って観ていただくわけですから、それなりの準備をしました。
公演に至るまでには数ヶ月の準備期間をかけました。その間、脚本の読み合わせ、立ち稽古、舞台稽古、リハ-サル、と同じ脚本を百回近くは繰り返し練習したでしょう。
一人の役者としてなら同じセリフの練習を二百回はしたかもしれません。
役づくりのために、その人物の性格や好みや人物背景の研究をしました。
普段の生活でも、その人物が考えそうなことを考え、その人物がしそうな感じ方で反応し、その人物が作るであろう詩をつくるようにも勧められ、そうしました。
それらはすべて、公演当日に、観客に観ていただくためにするのです。
もしも公演当日観客が一人もいなかったら、劇はできません。それまでの準備は水の泡となります。
また、上演中の劇は観客との生きた交流の上に成立します。観客がいいところで笑ってくれるか、ツボどころでしんみりとしてくれるかによって役者のノリは違ってきます。
観客の生の反応は、俳優の次の演技に影響を与えます。劇が成功するかどうかは、観客がどんな反応を示すかによるところ大なのです。
ですから、一流の俳優は、観客の視線、息づかい、思いを感じ取り、客席から観える自分を思い描きながら、演技を組み立てられるのだと思います。
観客のいない演劇はありえないし、観客との交流のない演劇は味けないものです。
私たちの人生も観客との交流がある
ところで、それと同じことが私たちの人生にもあてはまるのだと私は考えています。
つまり、観客のいない人生はありえないし、観客との交流のない人生は味けないものに終わるのだと思うのです。
私たちの人生の最も熱心な観客は、天国にいると私は信じています。
私はこの人生でどのように振舞ってもいいのですが、それをいつも天国で見守ってくださっている方がいらっしゃるのです。
ときどき、スポーツなどで活躍した選手が、「天国の母のためにもがんばりました」とか「天国の父が応援してくれました」とかいうことを聞きます。
そういう心情と似ているのですが、天国には、私たちの日々の振舞いをともに喜び、ともに悲しんでくださる観客がいるのです。そして、惜しみない心で応援してくださる観客がいるのです。
私たちはこの世にいる間、決して一人ではありません。いつもどんなときも、天国の観客と交流しながら生きていくことができます。
自分に与えられた役を一所懸命こなし、天国の観客にも喜んでいただける幸いな日常生活を送りたいものです。