「活動時間を一時間増やすには、休みをとること」。
『人を動かす』『話し方入門』などの著書でも知られるデ-ル・カ-ネギ-氏は、『道は開ける』の中で一章を割いて、このことを力説しています。
人間は活動し続ければ、疲れます。疲労は一旦たまると驚くべき速度で蓄積するのです。そして次第に活動をにぶらせます。
「だから、疲労と悩みとを予防する第一の鉄則は、たびたび休養すること、疲れる前に休息せよ、である」
と彼は言うのです。
そして、働き続けるよりも途中で休憩を入れた方がいかに仕事の能率が上がるかを、様々な実例や実験結果をあげて説明しています。
休みをとるのは大事
この有難い話には、思わず相槌を打ちたくはないでしょうか。
ただしこれは、働き過ぎで疲れやすい傾向がある人へのアドバイスだということを忘れてはなりません。
もともといち十分勉強して五十分休む学生に、「能率を上げるには、もっと休むことだ」という教師はどこにもいないでしょう。それと同様、もともと働いていない怠惰な人には、言う必要のないことです。
しかし、少し働き過ぎの傾向がある人とその家族の方は、「お互い休みをとるのは大事だ」と頭に入れておいた方がよいことです。
家族が働き過ぎて病気になったりしたら大変です。疲労のため、イライラしたり、塞ぎこんでしまい、始終憂鬱そうな顔をしていたら、家族生活にうるおいがなくなります。
身も心もすり切れてノイロ-ゼになる前に、ゆっくりと休むことにしてはどうでしょう。
どのように休めば良いか
ところで、休みはどのようにとればいいのでしょうか。
休み方一つの原則は、普段あまりしない活動でくつろぐことです。
休息とは、まったく何もしないことではありません。
肉体的な作業を主にする人なら、その作業の合間に読書をすることは肉体の休息になります。逆に主に机に向かって読んだり書いたりする仕事の多い人なら、軽い運動が心身をリフレッシュできます。日常生活を離れて旅行に行けば、気分転換になるのです。
この原則を上手に利用すれば、確かに私たちは時間をもっと活用できます。休みだと言って、ぼんやりしていた時間を何か違うことのために使えます。
休みながらも、価値ある活動はできるのです。
祈りという心身の休息
忙しく動き回る現代人にとって、祈りをすることはよい心身の休息になるものです。 祈りは、何もしないことではありません。神様との対話です。
精神的・肉体的な仕事において疲れたとき、静かに神様に心を向けて、神様と話をするのです。
そうすれば、どれだけ多くの恵みがいただけることでしょう。
聖アウグスチヌスは『告白録』の冒頭に書きました。
「神よ、あなたは私たちを、ご自身に向けてお造りになりました。ですから私たちの心は、あなたのうちに憩うまで、安らぎを得ることができないのです」
小さな子どもは、自分を愛してくれる親と共にいるときに、何ものにも替えがたい安心感に身も心もゆだられます。
この世での歩みを続ける道の途中、私たちが魂の平安を深く味わうことができるのは、神様と共にいるときなのです。