子育て・教育という営みは、小さなことの連続です。
その目的は、その子を自立した人間を育て、幸せに導くことです。
また、親や教育者も子育てを通して、成長し幸せになっていけます。
ただ、子どもを可愛がるあまり、必要以上に甘やかしたり、親が子どものゆっくりした行動を待てずにイライラして、子どもがすべきことを親がしてしまう傾向は誰にでもありえます。
その結果的、子どもの自主性を育てられないことがあります。
困難は子どもの成長の機会となる
私が小学校で教えているときにこんなことがありました。
ある小学一年生が先生のところまでやってきて言います。
「ん、んん…」
彼が今着替えをしていて、ボタンがなかなかとめられないのは見ればわかります。先生にしてほしいと思っていることもわかります。
そして、この子の家ではこのように「ん、んん…」と訴えれば、誰かが助けてくれたのだ、そういう育てられ方をしてきた子だとも察しがつきます。
あなたが、この子のクラス担任であればどうするでしょうか。
私はこれまで、こうしてきました。
「○○ちゃん、どうしたの?言ってごらん」
すると、その子は言います。
「先生、ボタン…」
「○○ちゃん、ボタンができないから先生にしてほしいんだね。それじゃあ、こう言いなさい。先生、ボタンができないので、してください、って」
そう聞くと、その子は私を見て言います。
「先生、ボタンができないので、してください」
「○○ちゃん、よく言えたね。でも、それは自分でできなきゃいけないことだから、自分でしなさい」
すると、その子は、また泣きそうな顔で一生懸命、ボタンをとめようとがんばります。
そして、ほとんどの場合、時間がかかっても自分できるようになるのです。
それは、先生がしてやるよりも数倍よいことだと私は考えています。
子どもにとって、小さいけれど、目に見え、実感できる確かな成長なのですから。
私はそんなとき、「〇〇ちゃん、よくできたね。一人でできて、えらいね」とほめてあげました。〇〇ちゃんは、本当にうれしそうでした。
子どもにとって、一般に困難な状況というのは、逆に成長のためにはチャンスとなります。困ったり、失敗したりする方が、実は子どもにとっては勉強になります。
時間がかかっても、下手でもいいから、子どもにさせた方が将来のためになります。
それを大人が先取りしてやってしまうと子どもの自主性をつぶしてしまうのです。
まわりの大人は、子どもがしていることを見守ってあげればよいと思います。
そして、困難な問題にチャレンジしていることをほめてあげればいいと思うのです。
ほめてあげれば、子どもはグングン伸びていけます。
ほめることなんかない?
子育てで疲れてイライラしているときなど、「うちの子はあまりほめることなんかない」と思ってしまいがちです。
しかし、子どもにほめるとことがないのではなく、恐らく親にほめるべきところが見えていないだけです。
どんな子どもにも、ほめてあげるところはあるはずです。
ほめることは、ごく平凡なことでいいのです。
「お母さんは、ぼくたちがケンカをするときはガミガミ叱るのに、ぼくたちが仲良くしているときは、ほめてくれない」
多くの子どもはそう思っています。
「特別に何かしたらほめてもらえるけれど、当たり前のことには気づいてもくれない」そう思っています。
誰だって、特別なことなんか、そうめったにできるわけではありません。
実は、特別なことより、平凡に見えることの方が難しいこともあるのです。
たとえば、朝、一人でパッと時間通りに起きられた。
遊んだ後のおもちゃのかたづけができた。
夕食にキライな野菜が出たけれど、ガマンして食べられた。
ほめようと考えて、改めて子どもを見ると、ほめるべきことはたくさん見つかるのではないでしょうか。
あるお母さんは、「〇〇ちゃんの成長ノート」などと名前づけて、子どものよかったことやお母さん自身が子どもを見ていてうれしかったことをノートに記すことをはじめました。
すると、子どもの良いところに気づくようになって、ほめることが前より多くななったそうです。
毎日、3週間くらい、そんなノートをつけてみれば、以前に気づかなかった子どものよいところが見えてくると思いますよ。