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どんな時でも絶望しない!希望を捨てない!

執筆活動の一環として、十数年前から三つの無料メルマガを発行してきました。

 ただ、一昨年末頃から配信スタンドのバックナンバー閲覧がサービス中止になり、過去の記事を読めなくなってしまいました。

そこで、独自に新しいブログを三つ作って、過去のメルマガ記事を引っ越しさせる作業をしています。

結構面倒な作業ではありますが、良かったのは、読者に喜んでいただけたこと、私自身も以前に自分が書いた記事を再読して元気づけられたことです。

その中には古い記事なのに、最近なぜか閲覧数が急に増えてきたものがあります。

そのうちの一つです。

朝の来ない夜はない

  「朝の来ない夜はない」は、『宮本武蔵』『新平家物語』などの国民的文学作品で著名な作家、吉川英治(一八九二~一九六二)の座右の銘として知られています。

 吉川英治は、少年時代からの苦労人でした。

 お父さんが事業で失敗し、病気で倒れ、小学校を中退すると、大勢の弟や妹のためにも丁稚奉公に出されました。

 彼のわずかな給金とお母さんの針仕事の賃金が一家の支えだったのです。

 英治は青少年時代、職を転々として苦労に苦労を重ねました。それは、人生の夜をさまようような日々だったのかもしれません。

 吉川英治の担当編集者だった扇谷正造氏は、その思いを聞き書きしています。

 「扇谷君、僕は同時代の日本人がなめたあるゆる経験を一身で行ってきた。ある意味において、自分の青少年時代ほど、惨たんたる、苦悩にみちたものはなかったと思う。

 自分は、強盗、強姦、殺人を除き、同時代の日本人が行なったさまざまなことの一切を経験してきた。

 何回か絶望に打ちひしがれ、何回かは、いっそ、遊侠の群れに身を投じて、この人生を太く短くと思ったか知れない。

そのたびに(英治、それでいいのかい。それでお前気がすむのかい)といって、私の袖をひき、正道にもどしてくれたのは、私のバンドにまいた赤い腰ヒモであった。

 色のさめた母のシゴキが、自分の杖となって、自分は今日まで、あまり、間違いもせず、世の中をわたってこれたのだ」(扇谷正造著『君よ朝のこない夜はない』講談社)

 その赤い腰ヒモとは、十八か十九の時、印刷工場の住み込み職人として働いていたとき届いた新聞紙の小包に、十文字に結えてあったものです。

 当時、英治は朝早くから夜遅くまで、毎日こまねずみのように働いていました。

 そういう暮らしのなかで、郷里の母親から新聞紙の小包が届いたのです。

 新聞紙の中からは、英治が好きな本が何冊かと刻みタバコが出てきました。

 この本を買うために、母は幾晩徹夜して縫い物をしたのだろう。そう考えると、英治の目から大粒の涙が流れ落ちたといいます。

 その小包に結わえてあった母の赤い腰ヒモを、次の日から英治は自分の腰にしめて働きました。

 兄弟子たちは、「おい、それはどこの女郎にもらったんだい」とからかいますが、英治は無言で働き続けました。

 色あせてはいるが愛に満ちたその腰ヒモは、その後の吉川英治の辛く苦しい青年時代を支え続けることになります。

その後、彼は作家となり、人から色紙に文字を請われると書いたものです。

 「朝の来ない夜はない」

 この言葉には、吉川英治が辛い青年時代から学びとった思いが凝縮されているのです。 

朝の来ない夜はない(吉川英治) 朝の来ない夜はない    吉川英治(1892~1962) 作家 「朝の来ない夜はない」という言葉は、国民的な作家である吉...
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希望を求めて

  なぜ、この記事を閲覧する人が急に増えたきたのでしょう。

 考えてみて思い当たるのは、新型コロナウィルスの感染拡大と非常事態宣言の発令です。

  この時期の不安で苦しい状況下で、「朝の来ない夜はない」という言葉に、「希望」を見出そうとした人がいたからではないかと思うのです。

 というのは、他にも同じブログで、希望をテーマにした記事へのアクセスが多くなったからです。

 その一つは、詩「置かれた場所で咲きなさい」というタイトルで、シスター渡辺和子の本、詩とそのエピソードを紹介した記事です。実は、この詩と同名タイトルのご著書『置かれた場所で咲きなさい』に集録されたエッセーのほとんどは、だいぶ前に発表されたものでした。

その古いエッセーを集めて編集し直した本が二百万部発行され、多くの人に読まれたのはどうしてでしょう。

出版社の強い営業力も要因ですが、この本が発行一年前に起こった東日本大震災後の生活で苦しむ人々に、希望を与える優れた内容だったからだと思われます。

詩「置かれた場所で咲きなさい」(ラインホルド・ニーバー) 「置かれたところこそが、今のあなたの居場所なのです。咲けない時は、根を下へ下へと降ろしましょう。」 (渡辺和子著『置かれた場所で咲...

 もう一つの例は、「心に太陽を持て。くちびるに歌を持て」という記事です。

 これは、山本有三編著『心に太陽を持て』 (新潮文庫)からピックアップしたものです。ドイツの詩人ツェーザル・フライシュレンの詩「心に太陽を持て」から始まるこの本は、元々戦前に出さた子ども向けの短編集です。

 その中から、私が子どもの頃に読んで感銘を受けた「くちびるに歌を持て」を要約して紹介しました。

 客船が沈み、暗く冷たい海に投げ出された人々が歌いながら希望をもって救助を待ち続け、救われた実話です。

心に太陽を持て。くちびるに歌を持て。「心に太陽を持て。」という素晴らしい詩があります。 1989年に、児童文学者の山本有三さんが紹介した詩(ドイツの詩人・ツェーザル・フラ...

希望をもつ人は救われる

  苦難にある多くの人は、希望を求めています。

 新型コロナウィルスの日本での感染第一波はだいぶ収まったようですが、その後の生活の不安や苦難、経済的な困窮は終わっていません。

 世界に目を向けると、感染拡大がひどく続いている国が多々あり、亡くなっていく方も少なくありません。

 第二波、第三波を警戒しながら、私たちはまだ不安や苦しみと闘わなければならないのでしょう。

 けれども、どのような状況にあっても、私たちが神さまから見放されることは、決してありません。私たちは、信仰・希望・愛をいただいた神の子ですから。

 キリスト教では、希望は対神徳です。キリストは、私たちに天の国と永遠のいのちを約束してくださいました。その約束に信頼し、聖霊の恵みの助けに寄り頼みながら、希望をもって生きることができるのです。

 夜の闇を照らす朝の光が必ず訪れるように、苦難のあとに幸福と栄光がやってきます。希望は決して裏切られないことを確信して良いのです。

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『カトリック生活』2020年8号 連載エッセー「いのり・ひかり・みのり」第105回 拙稿「希望は裏切られない」より