「人の怒りは、神の義を実現するものではありません。」(ヤコブ1・20)
「怒り」とは言えないかもしれませんが、人から何かされて「イラッ」とするのは、誰でもあることですね。
「イラッ」は一時的なものですが、続くと「イライラ」になってきます。
「イライラ」をそのままため込むと、だんだん「怒り」に……。
心の根底に「怒り」があると、落ち着かず、ハッピーな気持ちにはなれません。
では、どうしたら良いでしょうか?
以下の記事は、キリスト信者向けに書いたものですが、他の方にも何かヒントとなれば幸いです。
怒りからは害が生まれる
怒りは、だれにでも生じる感情です。
本能的な感情なので、湧きあがってくるのは避けられません。
でも、怒りを表に出してしまうと、よいことはあまりないでしょう。
怒鳴られて気持ちよい人など、まずいません。怒鳴った人と怒鳴られた人の関係は、悪くなります。家族や友人、仕事上の人間関係も壊れてしまいます。怒った人も怒られた人も、自信をなくしたり落ち込んだりします。
怒りは感情のなかでも、とても激しいものです。瞬間的に湧きあがり、一気に増幅します。ときには、暴言や暴力となって人を傷つけてしまいます。
でも、我慢していると心のなかに怒りがたまるばかりで、心と身体は強いストレスを受け続けます。うつ状態にもなるし、様々な病気の原因にもなります。
つまり怒りは、人間関係を悪くし、心身の健康を害し、仕事や人生にも悪影響を与えるのです。
怒りから解放されるために
では、この怒りから解放されるにはどうしたらよいのでしょうか。
先日、新しい文庫本『イラッとしたとき やさしい気持ちになれる本』(成美堂出版)を発行しました。
その中の一つ、小学五年生の女の子の作文に私は学ぶべきことがあると思います。
これは、私が大好きな作文で、あちこちの教育講演会でも紹介し、好評です。
私の母ちゃん、バカ母ちゃん
私の母ちゃんは本当にバカです。いつも失敗ばかりしています。
炊事と洗濯を一緒にするから、煮物の途中でシャツを干そうとしていて、煮物が吹きこぼれ、火を止めに走ろうとすると、竿に通しかけたシャツは地面に放り出されます。シャツは泥だらけ、そして煮物のナベは引っくり返してしまい台無しです。
すると、バカ母ちゃんは、ひょうきんにすぐおどけて謝ります。
「こんな私で悪かった。ごめんね。父ちゃん、カンベンな」
すると、父ちゃんは「バカだなあ」といって笑います。そういう父ちゃんもバカ父ちゃんです。
いつかの日曜日、皆で朝ご飯を食べていると、奥から慌ててズボンと洋服を着ながらカバンを抱えて茶の間を走り抜けていきました。
「ああもう駄目だ。こりゃいかん」とか言って玄関から飛び出していってしまいました。
「まただね。しばらくしたら帰ってくるからな」と母ちゃんは落ち着いたものです。
すると案の定、父ちゃんは帰ってきて恥ずかしそうに「また、無駄な努力をしてしまった。日曜日だというのに、ハハハ」といい訳を言っています。
そんなバカ父ちゃんとバカ母ちゃんの間に生まれた私が、利口なはずがありません。弟もバカです。私のところは家中皆バカです。
でも私は……。私は、そんなバカ母ちゃんが大好きです。世界中の誰よりも一番好きです。
私は大きくなったら、うちのバカ母ちゃんのような大人になって、うちのバカ父ちゃんのような男の人と結婚して、子供を産みます。
そして、私のようなバカ姉ちゃんと弟のようなバカ弟をつくって、家中バカ一家で、今の私の家のように、明るくて、楽しい家族にしたいと思います。
バカ母ちゃん。その時まで元気でいて下さいね。
ゆるし合う、愛し合う
どうでしょう。楽しい作文でしょう。
この家庭は、なぜこんなに明るいのでしょうか。
それは、家族各々が互いに自分たちの愚かさをゆるし合っているからではないかと私は思います。
だれでも、バカなところもあれば、失敗することもあります。でも、それをゆるし合うことで、温かな気持ちが生まれるのです。
ゆるすということは、相手を受け入れること、愛することでもあります。
この女の子はお母さんが大好きです。お父さんみたいな人と結婚したいと言っています。素晴らしいことです。
そして自分も大好き。自分みたいな子どもを産みたいと言っているのです。なんて幸せなことでしょう。
互いにバカなところはあっていいのです。この子の家庭のように、互いにゆるし合い、愛し合うことで、それはむしろ温かな魅力になるのです。
互いに忍び合い、責めるべきことがあっても、赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたも同じようにしなさい。(コロサイ3・13)
私たちは、ゆるし合い愛し合う大きな家族の一員です。父である神さまは、私たちの罪をゆるし贖うために世に来られました。
そして、洗礼によって私たちのすべての罪をゆるしてくださいました。それ以後も、ゆるしの秘跡によって、いつでもゆるしてくださいます。なんて有難いことでしょう。
何かで怒りやイライラが湧いてきたとき、私もこの神さまの寛大さを思い出し、自分と人の愚かさをゆるし愛することに努めたいと思います。
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『カトリック生活』2014年1月号 連載エッセー「いのり・ひかり・みのり」第26回 拙稿「愚かさをゆるす」より