いい言葉

『平和を願う長崎の鐘』医学博士・永井隆親子の鐘に託した願い

8月9日「長崎原爆の日」(ながさき平和の日)、 8月15日の終戦記念日ままでにはと思い、新しい動画をつくりました。

この物語は、拙著『永井隆 平和を祈り愛に生きた医師』(童心社・児童書伝記)『1945年のクリスマス ながさきアンジェラスのかね』(ドンボスコ社・絵本)でも紹介した実話です。

動画は、永井隆の遺児、茅乃(かやの)さんの視点でつくりました。

少し、永井隆について補足しておきます。

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                             喪に服し祈る永井博士

医学博士-永井隆は、1945年8月9日、長崎市浦上で勤務中に被爆しました。(37歳)

自身も重傷を負いながら人命救助に尽力し、白血病で倒れてからは、43歳で亡くなるまで病床で本を書き、世界中に平和を訴え続けた人です。

17冊の著作のうち、特に『長崎の鐘』『この子を残して』は、ベストセラーとなり、映画化もされ、戦後の多くの人を元気づけました。

長崎市の小学校では、4年生の社会科で、被爆直後、長崎の復興と発展に尽くした永井隆博士について学習します。

全国から平和学習のために訪れる小・中学生・高校生たちは、永井隆記念館や「如己堂(にょこどう)」の見学を通して、博士の平和への願いと功績を偲んでいます。

また、長崎原爆資料館には、永井隆を紹介するコーナーがあり、毎年、国内外から多くの人が訪れて、博士の平和への願いを知る機会となっています。

なお、永井隆記念館は、長崎県長崎市にある長崎市永井隆記念館と、博士の故郷である島根県雲南市にある雲南市永井隆記念館の2箇所にあります。

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             いとし子と共に
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                              しっぽも一役

何の役にもたっていないように見えるしっぽでも、本当はとても役にたっている、なくてはならないものなんだよ。

娘の茅乃(かやの)のために絵を描いて語った言葉

この言葉には、白血病で病床に伏し、動けなくなった自分も、世のため人のためにきっと何か役立つことができる、という思いがこめられています。

皆様も、世界平和のためにお祈りいただければ幸いに思います。