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「地の塩」「世の光」の幸い

「幸いなのは神の言葉を聞き、それを守る人だ」(ルカ11-28)という言葉を、昔イエス・キリストが言いました。あなたは、この意見に賛成ですか」

と、アンケートを取ったらどうなるでしょう。

恐らく、日本では、「反対」「どちらでもない(よくわからない)」の人がほとんどで、「賛成」と答える人はわずかではないでしょうか。

日本のキリスト信者の人口比から、私は単純に、「賛成」の人は、せいぜい1%くらいかなと考えています。

日本では人口比1%未満のカトリック信者ですが、良い信者はたくさんいます。過去にも多く存在しました。そのうち、いま住んでいる大分から、二人を短くご紹介します。

大分の名市長だった上田保氏

一人は、元大分市長の故上田保氏です。

上田氏は、高崎山の野生ザルのえづけ、世界初の回遊水槽水族館の成功などで、大分市を活性化した名市長であり、実業家でした。

彼は大分のキリシタンの歴史文化を研究しているうちに、信仰に目覚め、回心し、一九五八年奥様と共に大分教会で洗礼を受けました。

その二年後、豊後国(現在の大分県)で千人を超えるといわれる殉教者の信仰を偲び、その霊を慰めるために、キリシタン殉教記念公園を設立。

さらに企画したキリシタン文化センター設立の夢には、市議会の賛成が得られずとも、信仰心と熱意が消えることはありませんでした。市長引退後、大分県庁前の遊歩公園に、十字架を持つフランシスコ・ザビエル像や西洋医術発祥記念像などの建立に私財を投じたのは、この上田氏です。

近年、大分市・国東市・臼杵市・津久見市・竹田市・由布市・日出町が共同で「キリシタン・南蛮文化交流協議会」を発足し、各地の歴史・文化遺跡やイベントを全国・世界に発信するようになったのは、上田氏のご意志と無縁ではありません。

ザビエルらが撒いた福音の種による木々は、迫害時代に根こそぎにされたとはいえ、四世紀を経て、新たな萌芽を生み出していることに、私はみ摂理の不思議を感じます。

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無償奉仕の医師アルメイダ

もう一人は、上田保氏が建てた西洋医術発祥記念像の中心人物である青年医師ルイス・デ・アルメイダです。像は、アルメイダが日本人の助手と共に右足の手術をおこなっている場面を表しています。

アルメイダは ポルトガル生まれの医師免許をもつ貿易商でした。

彼は、一五五二年に貿易目的で来日し財をなしました。ザビエルの布教事業を継承しているうちに、民衆の困窮を目撃し、大分にとどまり私財を投じて乳児院を設立。さらに大友宗麟の援助を受けて、一五五七年日本初の西洋式病院を建てました。

翌年には医学教育も始め、日本人医師の養成に尽力しました。後に司祭となり、九州全域で宣教活動もおこない、一五八三年に天草で没しています。

病人と乳児に尽くした彼の業績を顕彰して、一九六九年に大分市医師会が開設した救急救命センターは「アルメイダ病院」の名称がつけられています。

アルメイダが来日したとき、大分で布教が許されていたとはいえ、ほとんどの住民は外国の宗教に懐疑的だったでしょう。しかし、彼が困窮している人々に無償奉仕する慈悲の姿を見て、多くの人が回心したといいます。

小さな光、少しの塩であっても

現代の日本でも、キリスト信者は、マイノリティーです。迫害時代ほどではなくとも、宗教や文化の違いから、周囲の人々のキリスト教への無理解や偏見は依然としてあります。

けれども、考えてみればキリストの時代はもっとひどかったのです。キリストも民衆の無理解と偏見、迫害のために苦難を受けられました。信者が人口の1%どころか、ご受難の時は、身近にいた弟子でさえ師を否んで逃げていったくらいです。

そのキリストは、今後自分の教えに従う人もわずかであると見越した上で、私たちが「地の塩」「世の光」となることを望まれました。

ごく少量の塩でも、食物の味を変えます。小さな光でも、闇の中では明るく輝き、周囲を照らします。

私たちが少数でも、いや自分一人でも、「神の言葉を聞き、それを守る人」であれば、塩や光の働きはできるでしょう。

私の知人にもいます。目立たずとも日常生活や仕事を通して、神や隣人に仕えている人。祈り、感謝し、喜ぶことを忘れずに心がけている人。

そのような人は、家庭や職場、社会の中で、「地の塩」「世の光」となっています。私もまた、その方々のおかげで助けられ励まされています。「神の言葉を聞き、それを守る人」の「幸い」は、神の助けを得て、必ずや周囲に広がっていくのです。

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『カトリック生活』2017年11月号 連載エッセー「いのり・ひかり・みのり」第72回 拙稿「「地の塩」「世の光」の幸い」より