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名作「泣いた赤鬼」をアレンジした劇に青鬼役で出演してくれた英国人の話

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名作『泣いた赤鬼』とその後の物語子どもの頃、『泣いた赤鬼』の話を一度は読んだことがあるでしょう。 最後の場面で、主人公の赤鬼は親友の青鬼の手紙を読んで泣くのですが、 ...

の記事を読んでくださる方が多いです。

この記事を読書会で朗読したいので、許可してほしいという依頼が、とある町の図書館から来たこともあります。

それで、思い出したのですが、私は教師をしていたとき、名作『泣いた赤鬼』を元にした劇を創ったことがあるのです。大好評だったので、3回くらいリバイバルしました。

「三川村は今日も晴れだった」

劇のタイトルは、「三川村は今日も晴れだった」です。

「晴れだった」ですから、つまり、原作「泣いた赤鬼」のまま終わりませんでした。

旅に出て空腹と疲労のために倒れていた青鬼を舌切り雀のおばあさんが見つけ、赤鬼と再会し、ハッピーエンドになるというストーリーです。

演出をしながら、自ら(変身して大きくなった)青鬼役で出演したことも懐かしく思い出されます。

どんな劇だったか、というと・・・(変身して大きくなった)青鬼役をAETとして来日したていた十九歳の英国人がやってくれた年もあり、それを文章化していたのを思い出しました。

ご紹介します。

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青鬼になったエリック            

 愉快な男というわけではない。けれども、誰をも愉快にしてくれた男のことを書きたい。 

 僕が勤める私立小中学校にAETとして来日したエリックは十九歳の英国人だった。

「ハジメマシテ」と「アリガトウ」しか知らずに来たが、母国の大学で日本文化を学ぶ前に日本語を習いたいと言う。

子供たちに英語を教える傍ら、志願して僕のクラスの小学一年生たちと席を並べたこともある。

「ハイ!」と勢いよく手を挙げ、黒板に覚え立てのカタカナを書くと、一年生たちは嬉しそうに拍手を送った。そんな時、エリックは顔を赤らめニコニコ笑うのだった。      

その彼に、「今度、劇に出てみませんか」と誘ってみた。学校では毎年保護者を呼んで、劇の発表会を催していた。

一年生が演じる「三川村は今日も晴れだった」は童話「泣いた赤鬼」をアレンジした創作劇だ。村人と親しくなりたいが恐れられている仲間の赤鬼を助けるために、一計を案じた青鬼と赤鬼の友情を描いたものである。

青鬼が村で暴れる場面は変身をして大きくなる筋立てなので、大人の方が良い。その大きく狂暴な青鬼を彼にやらないかと、持ちかけてみたわけだ。

「イイデスヨ」と快く引き受けてくれたものの不安がよぎる。この英国紳士が果たして大勢の前で、鬼の役などできるのだろうか。 

上演当日。彼の外見は鬼になっていた。

モジャモジャ頭のカツラに突き出た角。青いシャツに青いタイツ。唐シマ模様のパンツ。ただ顔だけが紅潮している。

いよいよ変身の場面、彼の登場だ。奇声を張り上げ、鬼が姿を現す。

大きい。異様だ。

観客のどよめきが波打つ。

「この化け物め!」と立ち向かう一寸法師、金太郎、桃太郎、舌切り雀のおばあさんを、大げさな手振り身振りで片付けていく。

その度に観客は爆笑を繰り返した。

「ツギハダレダ?」

筋書き通り、さっそうと赤鬼が登場。

「待て-。ひどいことをするな」コツンと一撃。

「ウワ-、カンベンシテクレ-」と、地を這って退場する彼。

会場はあたたかな笑いと拍手に包まれた。

 

劇が終わると、エリックは誰よりも先に着替えていた。顔はまだ赤い。

「とても良かったですよ」

「ハイ、トテモイイケイケンニナリマシタ。タノシカッタ」

けれども、彼はその日の打ち上げに姿を見せなかった。体調不良だという。驚いた。これまで一度もなかったことだ。

自分の役と別れる時の、甘く切ない空虚が、劇づくりにはある。あまりにも役づくりに一所懸命だった彼にも、その痛みが襲ったのかもしれない。

一カ月後、国に帰った彼から手紙がきた。「あの劇が懐しいです」と漢字を使った几帳面な文字が並んでいた。

上演の翌日、青いシャツに青いネクタイの彼が顔を赤らめて座っていた椅子が、今も僕の前にある。

 

少し感傷的な文章ですが、劇自体はとても楽しく、私も懐かしく良い思い出になりました。

エリック、いいやつだったなあ。

いまごろどうしてるんだろう。