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燃える心で言葉と出合う
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同じ話を聞いても、その受け手の心構えで、得るものはまったく変わってくるものです。
1960年代に、京都で松下幸之助氏が、数百人の経営者たちの集まりで講演をしました。
講演のテーマは、松下の持論である「ダム式経営」でした。
「ダムがいつも一定の水量で満たされているように、われわれも、人材も資金も蓄えを持って事業を経営していなければならない」
という話です。
質疑応答の際、聴衆の1人が質問しました。
「ダム式経営をしたいのは山々だ。しかし、自分には、余分な資金がない。どうやってダム(蓄え)を作れば良いのか秘訣を教えてもらえないか」
と尋ねたのです。
松下氏は、じっと考えて言いました。
「わたしにも、それは分かりませんなぁ」
その後、「しかし」と氏は続けました。
「まず、ダムを作ろうと思わんと、あきまへんのや」
失笑が会場をおおいました。
「思うだけでできたら世話はない」
「馬鹿にするんじゃない」
と腹を立てた人もいたでしょう。
「せっかく話を聞きに来たのに損をした」
と失望した経営者もいたでしょう。
ところが、その中でただ一人、まっすぐに、燃えるような眼差しで松下氏を見つめる青年がいました。
「そうか。まず思わないとあかんのか・・・」
松下氏の言葉にいたく感動していたのです。
それは、京セラを創業して間もない二十代の稲盛和夫氏です。
松下氏にしてみれば、
「自分には金がない。どうすればいいか、方法を教えくれ」
というような質問を受けたとき、次のような気持ちだったのかもしれません。
ダム(蓄え)をつくる方法は、いろいろある。
その人の、個性にあったやり方があるので、「ただ、こうすれば良い」と一律に教えられるものではない。
私だって、何も蓄えがないところからスタートした。
うまくいく方法は知らなかったから、汗水たらし、知恵を絞り、試行錯誤でやってきた。
皆さんも、いいと思ったら自分からやってみる姿勢が大切だ。
そのためには、まず「やってみようと思う」こと。それが、何よりも大切なのだ。
松下幸之助という稀代の名経営者の心中は、後に名経営者となる稲盛青年だからこそ受けとめられたのかしれません。
ともかく、このとき稲盛和夫氏は、他の多くの人が失笑した松下幸之助の言葉を聞いて、脊髄に火がついたように感動で心を燃やしました。
その火が、彼の信念となりました。
京セラの創業時、セラミック製造の作業は、「汚い、厳しい、きつい」の3Kでした。
深夜作業を終えると、疲れてぐったりしていた若い社員とともにラーメンをすすりながら、稲盛氏は信念をもって熱く語りました。
「いま自分たちがやっていることは、世界の誰もやっていないことだ。しかし、やろうと思えば必ずできるんだ」
松下氏から受け継いだ稲盛氏の信念は、その後、会社を大躍進させる原動力となり、現在に至っています。
自分の心構えいかんによって、言葉は宝になります。
心を燃やす原動力になります。
そして、生きていく信念になるのです。
燃える心で人の言葉を受けとめよう。
その言葉があなたの信念になります。(^.^)
出典:稲盛和夫著『生き方』(サンマーク出版)