いい習慣

ルルドの奇跡~祈りによる願いは叶えられる

あなたの願いが叶う習慣をご紹介します。

それは、祈るということ。

もしも、あなたが祈りによって神様と友だちになり、神様がいつもあなたを応援してくれれば、こんなに心強いことはありません。

きっとあなたの努力は報われ、あなたの願いも叶います。

奇跡が、起こるかもしれません。

その「奇跡」の一例として、ご紹介します。

ルルドの奇跡

    ルルドの奇跡

フランスの町ルルドは、世界的に名高い巡礼地として知られています。

この地はもともと、ピレネー山脈のふもとにある小さな村でした。

ところが、一九五八年に、ルルドの洞窟に聖母マリアが出現したことで、聖なる地と考えられるようになったのです。

聖母マリアを見たのは、当時十四歳の貧しい粉屋の娘ベルナデット・スルビーです。

聖母は合計十八回の出現し、ベルナデットに「行って泉の水を飲み、その水で顔を洗いなさい」と命じました。

その直後に洞窟の近くに泉が湧き上がりました。

ある盲人がこの泉の水で目が治った事実が知れると、以後、病人が大勢ここを訪れるようになりました。

そして、その病人のいくらを奇跡的に治癒するという現象を今でも起こしているのです。

この現象に疑いをもった人はもちろん大勢います。

その中のひとり、アレクシス・カレルはフランスの外科医で、生物学者でした。

日本では、世界的ベストセラーとなった名著『人間 この未知なるもの』でその名をご存じの方が多いでしょう。

一九一二年にノーベル生理学・医学賞を受賞しています。

カレル博士は、リヨンから巡礼団の付き添い医師として、一九〇ニ年に、初めてこのルルドを訪れました。

信仰をもっていなかった彼が、この地を訪れたのは、ルルドで起こるとされている奇跡の真相を科学的に調査し解明したかったからです。

もちろん、彼は奇跡など起こるはずがないと考えていました。

ところで、カレル博士の診ていた巡礼団の病人の中に、マリー・フェランという結核性腹膜炎で瀕死の娘がいました。

どんな医学的治療も自分を治すことはできないが、ルルドに行って祈れば、きっと治る、彼女は信じていたのです。

主治医であったカレル博士は、もしあの娘が治ったら奇跡を認めるが、そんなことはあり得ないと友人にも語っていました。

ところが、他ならぬこの娘に奇跡が起こりました。しかもカレル博士の眼の前で、一瞬にその娘は完治したのです。

つまり科学的には説明のつかない病気の治癒がカレル自身の目前で起こったのです。

博士は後に語っています。

祈りは人間が生み出しうる最も強力なエネルギーである。
それは地球の引力と同じ現実的な力である。
医師としての私は、多数の人々があらゆる他の療法で失敗したのちに、祈りという厳粛な努力によって疾病や憂鬱から救われた例を目撃している」 (「リーダーズ・ダイジェスト」一九四一年)

また、祈りの治癒的効果を認めるだけでなく、カレル博士は、祈りについての深い考察を文章にして発表しています。

「祈りは、遺伝と教育による精神的背丈以上のところへ人間をひき上げると思われる。神と接触した人間は平和に浸され、その平和は彼らから輝き出る。そして彼らの行くいたる所に、彼らは平和をもたらすのである

(アレクシス・カレル著『ルルドへの旅 ノーベル賞受賞医が見た「奇跡の泉」』 (中公文庫)

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祈りは無駄ではない

私は、祈りによって時に奇跡的治癒が起こることに疑いをもっていませんが、たとえどんなに願っても、奇跡は起こらないことが多いのも知っています。

だからと言って、その祈りが届いていないとも、その祈りが無駄だったとも考えません。

人間の力を超える奇跡を起こすのは、神様です。

神様は必要であれば、奇跡を行うでしょうし、行わなくてもよければ、行わないでしょう。

私たち人間は、自分にできるだけのことをして、後は神様を信頼しまかせるのです。

まかせきったとき、私たちの心は平安で満たされます。

祈りは、私たちに安らぎを与えます。

祈りは、私たちに癒しを与えます。

祈りは、私たちに喜びを与えます。

祈りは、私たちに強さを与えます。

祈りは、私たちに力を与えます。

そうです。

私たちに、です。

祈りは、自分だけでなく、自分の大切な人も幸せにするのです。

祈ることによって与えられます。

私たちに必要なものを・・・

私たちの願うものを・・・

いや、本当はすでに必要なものは与えられているのです。

ですから、お願いをする前に、大切なことは、まず感謝すること。

感謝すると、それは素晴らしい祈りとなります。

お願いする前に感謝の祈りを捧げよう。

その祈りは素晴らしいものを私たちにもたらします。 (^.^)

出典:拙著『幸せに気づく』(PHP研究所)

ちなみに奇跡を、私は信じています。いま自分が生きていること自体が、本来、とんでもない奇跡です。