徳島県の山奥に、すごい町があるのをご存じでしょうか。
徳島県の上勝町です。
何がすごいかというと、この町は、徳島市から路線バスで約二時間かかる山奥にありながら、人口の約1400人の2倍以上の視察者・研究者が世界中(約二十六カ国)から毎年訪れているのです。
しかし、この町は30年前までは、高齢者が人口のほとんどを占める過疎地でした。
私は、徳島県の上勝町を講演のために訪れたことがあります。
わずか一日の滞在でしたが、この町の姿勢に学べることがたくさんありました。
上勝町の活性化の秘訣は、私たちの仕事や人生にも役立つでしょう。
追い出されそうになった青年指導員
1979年春、上勝町に徳島農業大学校を卒業したばかりの青年がやってきます。
その人、横石知二さんは父親のように県庁マンになりたかったのですが、その年は採用がなく、上勝町の農協から声がかかり営農指導員として就職したのです。
初めて訪れた上勝町は、暗く沈んだ空気が漂っていました。
町は、高齢化が進み、高校はなく、若者は都会に仕事を求めて帰ってきません。
60代から70代の男たちは、朝から農協や役場に集まり、酒を飲んで、くだを巻いていました。
特に雨の日は、補助金がいくらだの、国が悪い、役場が悪いだの愚痴をえんえんとしゃべり続けていました。
町のおもな産業はミカン、林業、建設などで、高齢者には出番がなく、しかも雨が降ると作業ができないからです。
女性のほうは、もっと状況は悪く、ほとんどの人が自分で定期的に収入を稼げる仕事はもっていません。
仕事がない、金がない、でもひまのある女性たちは、毎日毎日、嫁や誰か、町の悪口を朝から晩まで愚痴っていたのです。
若い横石さんは、このままではダメだと、改革を訴えますが、大反発を受けます。
「お前はよそ者」「お前の給料はだれが出しとるか」「何もできんくせに」「明日から、来るな」「帰れ!」と怒鳴られ、追い出されそうになります。
歴史的大災害が福と転じる
さらに、1981年2月、歴史的大災害となった異常寒波が上勝町を襲います。
主要産業のミカンがほぼ全滅。
収入の道が断たれ、多くの農家はまさにどん底の危機に瀕しました。
しかし、「禍いを転じて福となす」です。
この大ピンチを、横石さんが提案した短期期間で収入が得られる切り干しイモやワケギなどを、皆で協力し努力しながら作って売ることでしのぎます。
その後も順調に収入を上げていき、横石さんの町の人の信頼も上がっていきます。
「葉っぱなんかが売れるもんか」
横石さんが、「葉っぱビジネス」のアイディアを考案したのは、ひょんなことからでした。
1986年10月、出張で行った大阪の寿司屋で若い女の子3人が料理の赤いモミジの葉っぱをつまみ上げて、「かわいい!」と大喜びしている様を目にします。
1人の女の子は、バックからきれいなハンカチを取り出し、そっと置いたのです。
「かわいい?葉っぱなら、うちの町にいくらでもあるぞ」
横石さんが「葉っぱをつまものにして売る」とひらめいた瞬間でした。
なんとかこの町らしい活性化ができないかと、いつも考えていたからでしょう。
つまものとは、料理を引き立てるために用いられる葉っぱや枝花のことです。
上勝町は山ばかりなので、きれいな葉っぱは、いくらでもあります。
野山から採ってきたその葉っぱをつまものとして全国の料亭や温泉旅館へ出荷しようというのです。
「まさか、葉っぱなんかが売れるもんか」と、はじめは、町民の多くから反対があり、協力者はほとんどいませんでした。
実際やってみても、売れ行きはよくありません。
しかし、横石さんは、ノートを持って自腹で料亭やホテルに足を運び、2年間に渡ってつまものを地道に研究しました。
そのニーズに合わせて商品の改良を重ね、高齢者でも分かる作業手順を工夫していきます。
そして、葉っぱといえども、料理を美しく彩るものであることから、商品名も「彩(いろどり)」と改名し、地道な営業努力を続けました。
その結果、次第に、全国各地から注文がくるようになったのです。
元気になった老人たち
70代、80代のおばあちゃんたちがパソコンを使って、注文を取り出しました。
やる気になったおばあちゃんたちの豊富な山の知識、知恵、粘り強さ、丁寧さによって、売り上げはどんどん上がっていきます。
年間販売額116万円でスタートした事業は年々売り上げを増し、19年後には累積売上は20億円を突破、年間売上が3億に迫るほどの、町を救う産業となったのです。
この事業の成功には、他にも次のような副産物が生まれました。
1.高齢者に働く意欲と自信が生まれた。
2.高齢者約千人に笑顔が生まれ、元気になってきた。
3.町全体に活気が出てきて、村に帰ってくる若者も増えてきた。
町長さんによると、寝たきりだった老人も働きだし、元気に生活するようになったそうです。
上勝町の成功の秘訣は、一見、役に立たないと思われていたものを役立てたこと。
そこらへんに落ちている葉っぱも、使いようによっては宝になりました。
欠点だと思われていたものが、長所になったのです。
体が弱り仕事はできないと本人も思い込んでいたご老人も、まだまだ元気に働けたのです。
私たちのまわりの無駄だと思われているもので、役に立つそうなものがあるのではないでしょうか。
そう、私たち自身も、まだまだ何かできるのではないでしょうか。
今、自分がもっているものを活かそう。
70歳を超えても何か新しいことができます。(^.^)
出典:笠松 和市 (著) 佐藤 由美 (著) 『持続可能なまちは小さく、美しい』(学芸出版社) 横石 知二著『そうだ、葉っぱを売ろう! 過疎の町、どん底からの再生』(SBクリエイティブ)