いい考え方

わたしたちのしていることは、大海の一滴(マザー・テレサ)

 

「わたしたちのしていることは、大海の一滴に過ぎません。ただ、もしこの一滴がなければ、大海は一滴分少なくなるでしょう。」 by マザー・テレサ

▼先日、知り合いの高校生、大学生・社会人が東北の被災地のボランティアに行ってきました。

そのリーダーの友人が送ってくれたYouTube(約10分)に先のマザー・テレサの言葉が紹介されていたので、この言葉を取り上げたくなりました。

もしこの一滴がなければ

▼「何千万人もの人々が貧困と飢餓で苦しんでいるインドで、わずかな人たちだけを救っても意味がないのではないか」

「あなた方は活動は貧困問題の解決には役立っていないのではないか」

マザー・テレサたちの活動に疑問をもつ人々が少なからずいました。

そのような人たちに対して、マザーはいつもこう答えていたのです。

「わたしたちのしていることは、大海の一滴に過ぎません。

ただ、もしこの一滴がなければ、大海は一滴分少なくなるでしょう。」

マザーが言う大海とは、何でしょう?

それは、一滴一滴の小さな親切や思いやりや善意らが集まってできた愛の大海のことです。

海は、一滴一滴の集合体です。

どれほど小さな一滴であっても、その一滴一滴があるからこそ、海は存在しえます。

愛の大海原も同じです。

わたしたち一人ひとりが一滴の愛を注ぐからこそ、愛は大きなものとなりえるのです。

▼友人たちが自主的にボランティアに行ったのは、東北の被災地のために自分も何かをしたいという思いからでした。

それなのに、彼らは自分たちこそが楽しみ、逆に何かをしてもらったような顔をしています。

「一生忘れられない夏休み」「最高の一週間」
「また是非大船渡に行きたい」
「大船渡の皆さんに対して十分に感謝し切れない」

などと口々に言いながら、来る前より元気になって、それぞれの街に帰っていったようです。

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困難の中でも微笑みや気配り

▼動画を編集した京都大学院生の新谷光くんに直接、話を聞くと、次のように語ってくれました。

「ボランティア活動というのは、一般的にボランティアの人から被災地の方々への一方的な援助というイメージがあるのですが、このワークキャンプを通じて、そうではないことをぼく自身がよく実感できました。

むしろ僕たちが大船渡で多くの人にお世話になり、困難の中でも微笑みや気配り、朗らかさや暖かい人間関係を失わないことの重要性に改めて気付かせてもらいました。

彼らは自分が愛の一滴になろうとすることで、自分を包む大きな愛の海を感じることができたのかもしれません。

▼もちろん彼らがおこなったような被災地でのボランティア活動だけが、愛の一滴ではありません。

彼らが充実した活動をすることができたのは、無報酬で25人分の食事を作ってくださった方々がいたからです。

現地に行って働くことができないが協力したいと言って、寄付金や食料を寄付してくださった方がいたからです。

そういう方々の善意やおこないも愛の一滴だと言えるでしょう。

また、他の慈善団体を通して被災地に献金をされている方の中には、食後の一杯のコーヒーを我慢したり、歩くことで電車賃を節約したりして貯めたお金を寄付した方もいらっしゃるでしょう。

おやつやおもちゃを我慢して寄付した子どももいるでしょう。

毎日、一日も早い復興を祈っている方も数多くいらしゃるでしょう。

それらも愛の一滴だと言ってよいでしょう。

▼であれば、私たちは、どこにいても、自分の日常生活のなかでも、愛の一滴を誰かに注ぐことができるのです。

まわりの人に対する、小さな思いやり、親切を自分の生活のなかで示すことができます。

自分の利己心を押さえ、人の幸せを願って行動することができます。

そして、不思議なことに、そういう行いを心がければ心がけるほど、実は他人からそういう行いをしていただいていることに気づきます。

自分も大きな愛の大海原の一部であることに喜びを感じることでしょう。

人の幸せを願って行動する。 (^.^)