いい考え方

命について真剣に考えると生き方が変わる

いのちについて考えるとは、生き方について考えるということです。

いのちについて真剣に考えると自分の生き方が変わっていきます。

自分と向き合う良い機会にしていただければ幸いです。

もしあと1日の命だったら・・・

▼ある学校の教職員研修会で「いのちと時間を活かす」というテーマで講師を務めました。

研修会なので、参加者に積極的に考えていただくために、また参加者が互いに何を考えているのか知って学び合うために、授業形式にしました。

その中の1つの質問です。

●もしあと一日の命だったら何をしますか?

▼多くの人は、明日も自分の人生は続く、ずっと続くと考えているかもしれません。

いやいや今日、突然に人生が終わることだってあるんだよと言われても、ピンと来ないものです。

でも、私たちの人生にはいずれ終わりが来ます。

それは宝くじに当たるより確実なことです。

●もしあと一日の命だったら何をしますか?

あなたも、考えてみてください。

何と答えるでしょうか?

▼このようなことを考えるのは、人生を真摯に生きていくために役立つことです。

自分の人生において本当に大切なものがわかるからです。

すると、いまやならければならないことが見えてきて生きるエネルギーが湧いてくるのです。

▼研修会では、この答えを短い言葉で紙に書いてもらい、何人かの人に答えていただきました。

・お世話になった人に「ありがとう」「ごめんなさい」と言う。

・ケンカしていた人と仲直りをする。

・いつも通り仕事をする。

・身辺整理をしたいので、掃除をする、などなど。

・いろいろやりたいけど、結局、何もできないで終わってしまいそう(笑)

というのもありました。(わかる、わかる)

▼私が一番印象的だったのは、

「手紙を書く」です。

手紙を書けば、自分の思いを伝えられるから、自分の思いが遺るからだそうです。

確かに、そうです。

自分の思いを文字に遺せば、人を慰め、励まし、助けることもあるでしょう。

そして、それは手紙がある限り続くのです。

実は、そう思って私もブログという手紙を書いています。

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命を無駄に使わない人になる

▼さて、最後に、ある少年と少女の話をしました。

少年が高校1年生のときでした。

ある教会の女子中学生が白血病のために入院中で輸血が必要なことを学校の先輩から知らされます。

顔も見たことのない少女ですが、たまたま血液型が同じAB型だったため、その少女のために喜んで献血をしました。

しかし、その数ヵ月後、闘病のかいなく、彼女は14歳の誕生日を前に亡くなってしまいます。

▼そんな縁もあり、彼は少女の葬儀ミサに出席します。

葬儀ミサの後、教会の出口で家族が参列者に記念のカードを配っていました。

手渡されたカードの表を見ると、少年イエスが小羊をやさしくあやしている絵。

その裏には、少女の言葉が印刷されていました。

その一文を目にして、彼は衝撃をうけたそうです。

そこには、こう書かれてあったのです。

私は神さまの

えいえんのいのちをもらい

それを むだにつかわない人に

なります。

近藤淑子

 

▼この世の苦しみや悲しみは、この世だけを見つめていれば、価値のないものに思えるかもしれません。

でも、少女は、重い病の中にあっても、永遠に続くいのちに思いをはせていたのでしょう。

14歳にも満たない若さの彼女が、自分の死を嘆き悲しまなかったはずはありません。

それでも、彼女は、永遠のいのちをいただけることに希望をもっていたのです。

そして、そのいのちを無駄にしない人になる。

自分のためだけでなく、人のためにもいのちを使おう。

そんな人に自分はなりたい、なるのだと考えていたのです。

▼少年は、彼女の言葉に打ちのめされ、自分の人生を真剣に考えるようになりました。

後に、こう書いています。

「それまで私は、永遠のいのちについて、こんな捉え方をしたことがありませんでした。

彼女は、14歳の誕生を目前に地上でのいのちを終えるにあたって、すでに来世のいのちを見据え、しかもそれを無駄に使わないという決心をたてている。

私はどこに目線を置いて人生を送ろうとしているのだろうか・・・」

▼少女の言葉を読んだ、その数ヵ月後、高校1年生だった少年は決心をします。

「自分も与えられたいのちを無駄にしない人になろう」

▼いま彼は、司祭(2018年7月から司教)となって働いています。

「あの時、(司祭になるために)背中を押してくれたのは、そして今も永遠の彼方に視線を据え続けさせてくれているのは、まぎれもなくご絵に書かれた彼女の言葉です」

ですから、彼はいまもあのカードをミサ後の感謝の祈りに使う本の中にはさんで大事にしているのです。

▼一度も会ったことのない人の言葉が誰かを導くことがあります。

支え励ますこともあります。

少女が遺した言葉に出会って、30年以上。

その間、ずっと持ち続けたであろう思いを彼はこう書いています。

「近藤淑子さん、ありがとう。
あなたは、その永遠のいのちを立派に使っていますよ。

弱くてさぼりがちな私の支えになり続けてくれています。
どうかこれからも天国から力一杯助けてください。

私もまた、永遠のいのちをもらえるように、
そして、それを無駄に使わない司祭になれますように」

▼自分の命の使い方について考えるとき、人は自分の「使命」を見出すのではないでしょうか。

●もしあと一日の命だったら何をするか?

という問いに対する答えは、人それぞれです。

それで良いのだと思います。

私自身の答えも平凡なものです。

命を無駄に使いたくない。

そう思って、この記事を書いています。

 

命を無駄にしないで使う。(^.^)

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【出典】酒井俊弘著『雇われ羊飼いの言いたい放題~眠れぬ説教&笑えるエッセイin宝塚教会』