いい話

地震被害から復興し発展する癒しの里(湯布院)

あなたは、温泉が好きでしょうか。
 
私が2年ほど住んでいた大分県は、自ら「おんせん県」と名乗るほど、温泉が多いところです。
 
中でも、湯布院は、全国人気温泉ランキングでトップ(クラス)だそうです。
 
「一度、行ってみたい温泉地」「最もリピーターの多い温泉地」と言われています。
 
実は、私もこれまで20回くらい行きました。
 
湯布院は、今や全国的な人気温泉地ですが、30年くらい前までは、田舎のさびれた温泉地でした。
 
それがどうしてこんな人気観光地になったのでしょうか。
 
 
 
(金鱗湖)

街づくりに本気で取り組む

 
そのきっかけになったのが、1975年に起きた大分県中部地震でした。
 
湯布院は壊滅的な被害は免れたものの、イメージが落ちてしまい、ますます客足が遠のいてしまいます。
 
「このままではいけない。なんとかしなければ……」
 
と立ち上がった湯布院の有志たちは、故郷の町を再生するために、ドイツのある癒しの町を視察に行きます。
 
そして、「街づくりは百年かけないとできない」ということを学びます。
 
彼らが中心になり、湯布院の人々はこの街を本気で再生しよう考えます。
 
いろいろなことをやりました。
 

●ダム建設の計画に反対し中止させました。その結果、故郷は、水没の危機を脱出しました。

●巨大マンション建設ラッシュの時代の波に逆らって、美しい景観を守るために、高層の建物が建設できないような条例を作りました。その結果、美しい景観は保たれたのです。 

●広告を出してお客さんを呼び込むかわりに、湯布院の街に馬車を走らせました。その結果、全国からTV取材が増え、湯布院の美しい景色も同時に紹介されました。

(由布岳を背に走る馬車)
 
このように街づくりのためのアイディアをどんどん実行していったのです。
 
全国レベルの映画祭、音楽祭やイベントも行われるようになっています。
 
そして、他にはないユニークなお店がたくさん連なっています。
 
こうして湯布院は、いまや全国的に知られる「癒しの里」「人気温泉地」になったのです。
 
 (金鱗湖周辺の東屋)
         
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お客様第一の街づくり

 
由布岳を望む金鱗湖のほとりにある、大分の湯布院で最も歴史のある老舗旅館「亀の井別荘」。
 
オーナーの中谷健太郎さんは、湯布院の名前を全国的に広めた立役者です。
 
日本の短期滞在型のスタイルに疑問を抱き、ドイツで学んだ、ゆっくりとした長期滞在型の街作りを目指していました。
 
それは「亀の井別荘」の食事のスタイルにも表れています。
 
泊まり客が、どこで食事してもいいようにオープンにしたのです。
 
オープンにするとお客さんは出ていきますが、同じことを他所でもすると、
 
他所に泊まっている人が食事をしに入って来ます。
 
そうすることで、湯布院を訪れた人が飽きることなく、長期滞在できます。
 
これは自分の旅館でなく、お客フォーストの考え方です。
 
さらに、オープンにしてお客さんが街の中を歩き始めると、そのお客のために新しいお店ができて街が活性化していきます。
 
旅館は街のごく一部。自分の所から出さないぞと守りに入ったら、どこもが収縮していきます。
 
自分の旅館だけなく、街全体で、お客さんを受け入れ、おもてなしをしようと考えて、街づくりや旅館の改革を進めてきたのです。
 
由布院の人は、街が地震に襲われたことが、真剣に街全体のことを考えるきっかけになりました。
 
私たちも、ピンチに陥ったときは、自分の小さな殻を破るチャンスです。
 
自分ファーストの視点ではなく、まわりの人や社会全体に視野を広げて行動すると大きく成長できるのです。 
 
(由布岳)
 
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【出典】DVD 「プロジェクトX 挑戦者たち 第VIII期 湯布院 癒しの里の百年戦争 」中谷健太郎著『由布院に吹く風』(岩波書店)