世界の自動車メーカーホンダの創業者本田宗一郎さんは、子どもの頃、読み書きが嫌いで苦手な劣等生でした。
ただ、機械いじりが好きでたまりませんでした。
そのため、彼は高等小学校を卒業すると、町の修理工場に丁稚奉公として就職しました。
けれども、すぐに車の修理ができたわけではありません。
彼に与えられたのはスパナではなく、雑巾一枚。
朝から晩まで工場の掃除と赤ん坊の世話が彼の仕事でした。
これが1年半も続きます。
こんな辛い状況から何度も逃げ出そうと思ったそうです。
ホンダ創業者本田宗一郎さんのその後
しかし、この下積み生活があったからこそ、後で、乾いた砂漠が水を吸い込むように車の知識と技術を吸収できたのだと彼は語っています。。
そのうち自分でもっといいエンジンを創りたいと思い、28歳で定時制の工業高校に通い、機械工学の基礎を学びました。
好きなことには、納得がいくまで必死で取り組む彼は、そのうち「世界に通用する車を創りたい」という夢を語るようになります。
まわりの人は呆気にとられ笑いましたが、彼は本気でした。
町工場で働いていた学歴のない若者の熱意と努力は、みごと花咲き、彼が創った車はいま世界中を走り回っています。
本田宗一郎さんの言葉
「やろうと思えば人間はたいていのことができると私は思っている。本田技研創立の頃は、焼けただれたような機械をもってきて再生するところから始めた。
ピストリングをつくっていた頃は、分析用の器具が買えないので、製作している工場に通い、器具をみんな自分でつくったりした。資金がないということは、結局自分で何でもやるしかないということで、私はそのとおりしたまでだ。
工場を建てるときも、自分でコンクリートをつくった。工場は一応できたが、窓ガラスがない。それもつくろうというので、割れたガラスを集めてきて釜で溶かし、凸凹のガラスだったがともかくできあがった。資金が足りない分は、知恵と労力で補えばいいのである」PHP研究所編『本田宗一郎「一日一話」』
「ミスタープロ野球」長嶋茂雄氏の話
「本気でやればできる!」という言葉は、「ミスタープロ野球」と言われた国民的ヒーロー長嶋茂雄氏もよく言われていました。
長嶋茂雄氏は「燃える男」の異名の通り、常に本気で打ち、本気で守り、ファンを魅了し続けた選手でした。
彼は巨人軍監督時代にも、東京ドームの監督室に掲げていた次のような詩を掲げて、座右の銘としていました。
本気ですれば
たいていな事はできる
本気ですれば
なんでも面白い
本気でしていると
たれかが助けてくれる
人間を幸福にするために
本気ではたらいているものは
みんな幸福で
みんなえらい
この詩は、明治~昭和時代の社会教育家、後藤静香氏の詩です。
本当にそうです。
本気でやれば、できなかったことでもできるようになります。
本気でやれば、やっていることがだんだん面白くなってきます。
本気でやれば、きっと誰か(まわりの人や神様)が助けてくれます。
弱音を吐く前に本気でやってみる。
本気でやれば、道は開けます。(^.^)
熱く燃えたい人は、こちらの記事をどうぞ。