この物語は、拙著『奇跡を呼ぶ天使の贈り物』に、一部だけ挿話していた創作物語の全文です。
いつだったか、「中井の本でどれが一番好きですか?」というアンケートをしたときに、物語「かぐや太郎と桃姫」と書いていた人がいたのです。
これ、本ではないんですが・・・(笑)
ちょっと長いです。原稿用紙25枚ほどあります。
天ちゃんは感動して泣いたので、人前での読書時にはお気をつけください。
かぐや太郎と桃姫の誕生
むかし、むかし、あるところに、おじいさんとおばあさんがいました。
貧乏なふたりでしたが、たいへん仲はよく、ただひとつの悩みは、子どもがひとりもいないことでした。
ですから、ふたりは、「どうか子どもが授かりますように」と、毎日、神さまに手をあわせてお願いをするのでした。
さて、働き者のふたりは、今日もおじいさんは山に竹取りに、おばあさんは川にせんたくに行きました。
おばあさんが川にせんたくに行っているときです。
川の向こうから、大きな桃がどんぶらこ、どんぶらこと流れてきました。
おばあさんは「これは神さまからのさずかりものじゃ。おじいさんといっしょに食べよう」と思って、家にもって帰りました。
一方おじいさんは竹取りをしていると、竹やぶの奥に根元の光る一本の竹を見つけました。
おじいさんが不思議に思って、その竹を切ってみると、あら不思議、その竹の中から、かわいらしい男の子が出てきたではありませんか。
おじいさんは、「これは神様のさずかりものじゃ」と思って家に連れて帰りました。
さて、おじいさんが家に戻ると、おばあさんが大きな桃を抱えて帰ってきたところでした。
おばあさんは、おじいさんが連れ帰ってきた小さな男の子を見てたいそう喜びました。
輝くように美しいその子を見て、ふたりは「かぐや太郎」と名づけました。
「では、お祝いにあの桃を食べましょう」
おばあさんが桃に包丁を入れたそのときです。桃の中から、元気のよい女の子が出てきました。おじいさんとおばあさんもびっくりしましたが、大喜びです。
「この子は桃から生まれたから、桃姫と名づけましょう」
それから、ふたりは桃姫とかぐや太郎を大切に育てました。
運命の影
それから十七年。かぐや太郎は立派でたくましい青年に成長しました。
一方、桃姫の方も美しく心優しい少女となりました。
兄妹として育てられたが、もともとふたりに血のつがなりはありません。
ふたりは次第に心惹かれるようになっていました。
また、おじいさん、おばあさんの願いも、ふたりが結婚をし、自分たちと末永く幸せに暮らしてくれることでした。
しかし、運命の影が一家を襲いました。
ある秋の日、かぐや太郎が病にかかったのです。高い熱にうなされ起き上がることもままなりません。
食欲はなく、そのため頬はこけてやせほそっていきます。最初は流行り風邪だとたがをくくっていたおじいさん、おばあさん、桃姫も、幼い頃から体が丈夫だったかぐや太郎とはいえ、病が長引くにつれいよいよ心配が募ります。
その病の原因を、かぐや太郎はある日、家族にこう告げます。
「おじいさん、おばあさん、ぼくの病はこのままでは治りません。実は、ぼくは月から来たものなんです。もともと月の人であるぼくの体は地球では長生きできないのです」
おじいさん、おばあさんは驚きました。かぐや太郎がふつうの人間でないことは、重々承知していましたが、まさか月から来たものだとは考えたこともありませんでした。
それよりも、わが子同然として育ててきたかぐや太郎の命が消えかかっていることに二人は戸惑いました。
それは側で聞いた妹の桃姫も同じです。幼いころから、兄とともに生活してきた桃姫は、かぐや太郎をよく知っているつもりでした。それゆえ、いま、こうして兄の口から告げられた言葉をまだ受けとめることができないでいました。
「ぼくがそのことを知ったのは、前の満月の夜です。突如、光の中から使者が現れました。光り輝く衣をまとった長身の男でした。おまえはわたしたちと同じ月の人間だ。わたしたちの体がどれだけこの地球の環境になじめるのか、調べるために17年前に送られたのだと。もうおまえの使命は終わった。わたしとともに月に帰れというのです」
「……それで、お前は何と答えたのだい?」と、おじいさんが尋ねました。
「ぼくは断りました。月の人間だの、送られてきたなど、ぼくの知らぬことです。ぼくは、この地球で生まれこの家で育ちました。これまでどおり、おじいさん、おばあさん、桃姫と暮らして生きたい。帰ってください。そして、二度と姿を見せないでください、そう言ったのです」
「おお、かぐや太郎……」と、おばあさんが涙ぐみました。
「でも、月の使者は、あきらませんでした。次の満月の夜に再び迎えに来るが、それまでに考え直すように、さもなければ死は避けられないと告げて立ち去ったのです。それからですよ。ぼくの体がおかしくなったのは……」
「おお、なんということだ。恐ろしいことだ」
おじいさんがそう言うと、涙ぐむおばあさんの肩を寄せました。
そいて、互いに体が震えることを押さえられません。
桃姫はただ呆然として言葉を失いました。
かぐや太郎は日に日に体が衰弱していきます。おじいさん、おばあさんは、かぐや太郎の病を国中の名医と言われる名医たちに診せました。
しかし、どの医師も「ゆっくり静養して、栄養のあるものを食べさせなさい」と言い、何らかの解熱剤をほどこすのですが、効き目はありません。
その中のある医師がどんな病気にでもきくとされる「万病薬」を手に入れて服用すれば、救われると告げます。
その万病薬は、その医師が以前に、鬼に奪われてしまって手元にはない。聞き伝えによると遠い鬼が島にあり、鬼たちが密かに服用しているのだと言うのです。
おじいさん、おばあさんは、子どもの頃、流行病で村人の多くが死んでしまう中で、万病薬によって命を救われたものがいるという話を聞いたことがありました。
「おじいさん、おばあさん、わたし、その万病薬を探しに行ってきます」
そう桃姫が自分の決意を口に出したのは、その医師から話を聞いた日の夜のことでした。
おじいさんもおばさんも驚きました。
「な、何を言っているんだい。やめなさい。女の一人身で鬼が島にまで行くなんて危険過ぎるぞ」と、おじいさんは怒りました。
「そうじゃよ、桃姫。かぐや太郎が病に倒れ、桃姫、おまえにまで何かあったら、わたしらは何の楽しみがあって生きていけるのだ。そんな危ないことは、やめておくれ」と、おばあさんも泣く泣く頼みました。
「でも、でも、このままでは兄さんが死んでしまうのよ。わたし、何にもできないで、このまま兄さんが苦しんでいるのをただ見ているだけなんて、あたしには耐えられないの。そんなの、死ぬより辛い。お願い。どうかお願いです。行かせてください」
「万病薬を取り返すのなら、お前が行かなくてもいいじゃないか。相手は鬼たちだよ。そうだ、強そうな男の人を何人か雇って、その人たちに頼めばいい」
「そんな時間はもうないわ。鬼が島まで行って鬼と戦ってくれる強い男の人を探している間に、兄さんの命は少しずつ衰えていくのよ。それにお金で雇われた人が、命懸けで薬を手に入れてくれるとはどうしても思えないの」
しかし、おじいさんもおばあさんも、桃姫がその命懸けの危険を冒すことにはどうしても承知できません。
桃姫は、うなだれ黙って部屋に下がりました。
次の満月の夜まで、あと二週間を切っていました。
桃姫、旅立つ
翌朝、おじいさん、おばあさんは、桃姫の部屋に置手紙を見つけました。
おじいさん、おばあさん、どうか不幸をお許しください。
わたしはやはり行きます。
次の満月までに必ず必ず帰ってきます。
兄さん、それまで、苦しくても気をしっかりもってくださいね。
きっときっとまた兄さんのもとに帰ってきます。
桃姫
おじいさんたちはそれを読むと、表に出て桃姫を探しました。
しかし、桃姫は朝の早いうち、あるいは夜のまだ明けないうちに旅立ったのでしょう。見つかるはずもありません。
桃姫の安否を心配した二人は、急いで、万病薬のことを教えてくれた例の医師に相談しました。
医師は、すぐに知り合いの三人の侍に引き合わせてくれました。
そして、その三人に桃姫の後を追わせたのです。
一方、夜が明ける前に家を出た桃姫は、鬼が島への道を歩き続けていました。
桃姫の服装は、かぐや太郎の旅衣装を借りてきたものです。はかまに陣羽織、腰には大小の刀もつけています。
桃姫は、多少、兄とともに多少武道の心得もあり、歩く姿は一見して、立派な若武者に見えます。
夕日が沈もうとしていました。桃姫は、一日に歩き通しだった疲れを感じました。
ふと耳をすますと、目の前に茂る森の中からふくろうの鳴き声がします。
「ああ、この森を越えなければ、次の宿場まで辿り付けないわ。まだ日があるうちに、急ごう」
そう思って、森に足を踏み入ててしばらくしてからです。木陰から、目の前に一人の男が急に姿を現しました。
片目には眼帯、頬には刀傷、背中には刀をくわえつけています。格好からして山賊に違いありません。
「おい、若侍、どこへ行く」
山賊は、桃姫を男だと思っているようでした。声を出せば、女だとわかります。
「ふん、びびって口がきけないのか。まっ、いいさ。後ろをみな、あんた絶体絶命だぜ」
後ろを見ずに背後に耳をすますと、二、三人の気配がしました。その者たちが、桃姫の背後から左右に枯葉を踏み鳴らしながら移動しているのがわかります。
左右に、一人ずつ刀を手にもった男たちが目にはいったとき、自分は恐らく四人の山賊に囲まれていることに気づきました。
「まっ、あんた、運がいいぜ。俺たちは悪党だが、命まではとらねえよ。無駄な殺生はこの際、やめとこうや。金目のものをここに置いてけ。まずはその大小の刀だ。さっ、俺の足元にほうれ」
確かに絶体絶命です。命は助けてやるといいながら、奪えるものはすべて奪い、最後には口封じのために命も奪うのがこの者たちのやり方だとは桃姫も知っています。
そのときでした。
桃姫を取り囲む三方でが何かの気配がしたかと思うと、目の前の男が片目を飛び出さんばかりにひんむいて後ろにあとずさりました。
「な、なんだ、てめえら!」
明らかに動揺し、その場を逃げようとする、山賊は木の根っこにつまずいて倒れました。
先ほどの威勢のよさはすっかり消え、山賊は恐怖におびえた目で、桃姫の背後、そして両脇を見ています。
「た、たすけてくれ。命だけはたすけてくれー」
一体何が起こったのかを知るために、桃姫がまわりを見回すと、三人の山賊が地に倒れ、その横に三人の武者が立っているのでした。
その一人が桃姫を見て口を開きました。
「ご安心ください、桃姫さま。われらは、おじいさま・おばあさまから頼まれた用心棒です。この者たちは眠らせているだけです」
「用心棒?」
用心棒の一人は黙ってうなずくと、倒れている山賊を鋭い目で見下ろしました。
「おい、おまえ、この森の山賊だな。ならば、この森を抜けて次の宿場までの近道を案内しろ。無事にわれらを案内すれば、この度のことだけは大目にみてやる。でなければ、いまここで気を失っている仲間ともども役人に引き渡す」
「わっ、わかりました。案内します」
桃姫を助けてくれた三人の武者は、本名は明かさず、それぞれ犬太郎 猿次郎、雉三郎と名乗りました。
桃姫は、深く感謝し、その三人と供に旅をすることにしました。
鬼ヶ島へ
七日後、桃姫たちは小船に乗って、ようやく鬼が島に着きました。
この島のどこかに鬼たちの屋敷があり、そこに万病薬は隠されているはずです。
まず、雉三郎は情報収集にあたりました。
一時間かかって雉三郎がさぐってきた情報によると、鬼の屋敷はここから半時間ほど歩いたところにあること。
万病薬は、その屋敷の奥深く、大鬼の薬部屋に置かれているらしいこと。鬼たちの多くは、いま都を襲うために繰り出しており、屋敷では毎晩毎晩、大鬼やら赤鬼やらの幹部が手持ちぶさたに酒を飲んで暇をつぶしていること、などがわかりました。
はたしてどうやって万病薬を手にいれるか、猿次郎が知恵を出しました。
「桃姫さま、われわれ三人はそれなりの腕達者ですが、鬼を大勢相手にするのは賢明ではありません。ここはひとつ芝居を打ちましょう」
「芝居をするのですか?」
「そうです。先日、桃姫さまがわれらにくださったきび団子、それに桃姫さまの美貌があれば、うまくいきますよ」
猿次郎の作戦はこうでした。自分と雉三郎が鬼の一人に変装して、夜、宴会中の大鬼の屋敷に近づく。人間の武者と若い娘をつかまえたので、どうしたらよいかと相談するために。鬼たちは、酔っぱらっているので、自分たちの変装には気づかないだろうし、若い娘と聞いて、そのまま返すはずがない。きっと宴会場まで連れて来いというはずだ。
「なるほど、猿次郎、さすがに知恵がまわるのお。それで、つかまった人間の武者とはだれだ」と、犬太郎が口をはさみました。
「それは、おぬしだ。忠義さが顔によく出ておるお主には、鬼の役はつとまらん。すまんが、たたかれ役になってくれ」
「うーん、桃姫さまのためなら、仕方なかろう。で、宴会場まで行った後はどうする」
「おう、もうしばらく耳を貸せ」
夜、桃姫たちは、猿次郎の作戦を実行するため、大鬼の屋敷前に立っていました。
屋敷の門にも、中での歌えや踊れの宴会の声がもれていました。
門番の鬼が四人の人陰をみとめました。
「おい、おまえら、どこに行く。ここは大鬼様の屋敷だ。何の用だ」
赤鬼に扮した猿次郎が答えました。
「知ってますよ。実は、さっき、浜辺で、わしら思いがけない、拾い物をしたんですよ。この人間の男と若い娘です。こいつら、小船に乗って潮に流されてきたようですが、どうしたらいいか。大鬼様にご相談しようと思いまして」
門番は、もう一人の青鬼が縄で縛り付けている武者と娘を穴があくほど見ていいました。
娘は浜がすりの着物を着流し、男の方は顔中あざだらけで立っているのがやっと、という感じです。
「おい、おまえら、ずいぶん痛めつけたじゃないか。人間はここじゃ労働力だってことを知ってるだろう。しかし、この娘は上玉だな。おまえら、この娘には手を出してないだろうな」
「めっそうもありません。大鬼様にご覧いただくまでは……」
「よし、わかった。ここで待っとけ」
しばらくすると、四人は首尾よく宴会上に通されました。
宴会場では、六人ほどの鬼たちが車座になって酒を飲み、何か下卑た言葉を喚き散らし、笑いあっていました。
上座に座っている人間の背丈の二倍もありそうな鬼、それがこの屋敷の主、大鬼でした。
四人をみとめると、大鬼の右横にいた一つ目の鬼が大声をあげました。
「こいつらか、浜で拾ってきた人間は……」
「へい、船で流されてきたようで」と、赤鬼に扮した猿次郎が答えます。
大鬼様、いかがなさいますか」と、一つ目の鬼が横を見ました。
「ふん、人間の男、お前の顔はむさくるしい。もう仕置きは済んでるようだな。おまえ等、すぐに牢屋につれていき、明日から働かさせろ。さて、この娘はどうするかな…」
そう言いながら、桃姫の足から頭の先までをなめるように見ていました。
「お願いでございます」そのとき桃姫が口を開いた。
「このわたくしの兄は、その赤鬼、青鬼に見つかって以来、殴る蹴るの散々な目に遭いました。どうか傷の手当てだけでもさせてくださいませ」
鬼たちは一斉に笑い声をあげました。大鬼の左横にいた三つ目の鬼が言いました。
「ひひひ、傷の手当てだとよ。ふさげるな、小娘、俺たちは鬼なんだぜ」
「で、では、せめて、兄にこのきび団子を食べさせてくださいませ。これを食べれば力もつきましょうから」
桃姫は背に背負っていた風呂敷から、きび団子を恐る恐る何個か差し出しました。
大鬼があきれかえったように笑いました。
「小娘、俺たちが誰だかわかってないようだ。まっ、これからだんだん分かってくるさ。ほう、このきび団子、うまそうじゃねえか。この死にぞこないにやるにはもったいない。おい、おまら、食ってみろ」
大鬼は横にいた鬼たちに促しました。桃姫は手をついて頼みました。
「ああ、それはどうかお許しください。それは国からもってまいりました大切なきび団子なのです」
「ほう、そうかい。そうだろうな、大切なきび団子だろうな」
鬼たち皆、きび団子を桃姫と犬太郎の目の前で食べ始めました。
「ひひひ、ああ、うめえ。舌がととけそうなくらいうめえぜ」
そうして、きび団子を全部食べてしまいました。
しかし、このきび団子には、睡眠薬が混ぜてあったので、ほどなく鬼たちは意識が遠ざかり、その場に眠り込んでしまいます。
それを見届けると、猿次郎が言いました。
「うまくいった。さっ、万病薬を探そう」
その後、眠りから覚めた鬼たちは、万病薬を奪われたことに気づきます。
「畜生、あいつらをすぐに追え!見つけたら、八つ裂きにして殺せ!」
鬼たちは、血相をかえて桃姫一行を追いました。
帰路を行く
満月の夜まで、あと六日。船から陸にあがった桃姫たちは帰路を急ぎました。
ところが、ある村で桃姫たちは、道に倒れた重い病の老婆に会いました。
「まあ、おばあさん、どうなさったのですか」
「ああ、娘さん、わたしは娘の祝言に行く旅の途中です。せめて、明日、娘の嫁入り姿を一目見るまではと気張ってきましたが、わたしはもう長くはありません。もうそれは叶わんでしょう」
「おばあさん、気を確かに。ここにどんな病気でも治す薬があります。これを少し飲んでみてください」
「桃姫さま、しかし、それは……」
犬太郎が口を挟みましたが、桃姫はこのままおばあさんを捨て置くことができません。
「少しだけです。少しだけ、このおばあさんに分けてあげたいのです。きっと兄もわかってくれるでしょう」
おばあさんは、桃姫にうながされ、万病薬に少し口をつけました。すると、みるみる体が回復し、立って歩くことができるようになったのです。
「ああ、ありがたや、ありがたや。これで娘の嫁入り姿を見ることできます。どうもご親切にありがとうございます」
また、途中、崖から落ちて、瀕死のケガをした子どもに会いました。その側には、泣き叫ぶ母親と父親の姿がありました。見るからに貧しい親子には、医師を呼んでも、来てくれないのだと嘆いています。
桃姫はこのままでは命は助からないと思い、万病薬を分けてあげることにしました。
その効き目はすばらしく、子どものケガはすっかり良くなりました。
こうして、心やさしい桃姫は旅の途中に何人もの病人やけが人を助けたので、万病薬は残りわずかになってしまいました。
娘一人と三人の武者たちの一行が、行く先々で病院やけが人を治しているといううわさを聞きつけた鬼の一団は、その後を追っていきます。
そして、ある森の中でついに桃姫一行を見つけました。
大鬼は十数人の手下の鬼たちを引き連れています。
「ひひひ、やっと見つけたぜ。おまえら、遠慮するな。俺たちの恐ろしさを思い知らせてやれ」
一斉に十数本の棍棒が音をたてて、桃姫たちに襲いかかります。
犬太郎、猿次郎、雉三郎は、勇敢に戦いますが、もともと多勢に無勢です。
「桃姫さま、このままでは危ない。この横に抜け道があります。わたしらが鬼たちをここで食い止めておきますから、一人で逃げてください」
「わかった。恩にきるわ」
犬太郎の言葉に促され、桃姫はひとり万病薬のビンを胸に抱いて走ります。
しかし、途中、ぬかるみに足をとられ、そのまま谷底へころげ落ちてしまいます。
満月の夜
一方、かぐや太郎、おじいさん、おばあさんが待つ家では、ついに運命の満月の夜を迎えます。
夜空に光が射し、ついに迎えがきたことを三人は知るのです。
ますます病の重くなったかぐや太郎の吐く息は荒く言葉も絶え絶えです。
「かぐや太郎、かぐや太郎」
自分を呼んでいる声がしてかぐや太郎は目を開けました。
そこには、以前見た、月からの使者が立っていました。光り輝く長い衣をきています。
しかし、その姿はかぐや太郎にしか見えず、その声はかぐや太郎にしか聞こえません。
「どうだ。わしとともに月に戻らぬか」
月へ戻ることを促す使者に対し、かぐや太郎は首を横に振りつづけます。
かぐや太郎は、自分のために鬼が島に行ってくれた桃姫のことを考えていました。
命懸けで万病薬を持ち帰ると行って旅立った桃姫をやはり命の尽きるまで待とう、もし間に合わなければ、このままこの地球で死んでもかなわないとも思いました。
「月からの人、もう帰ってください。ぼくは妹を捨て置いて、この家を離れるわけにはいきません」
「その妹だがな、いまお前の愛しい妹は体中が傷だらけになりながら、こちらに向かっているのぞ」
「えっ、桃姫が……」
「可哀そうにのう。おまえが素直でないばかりに、家族は不幸続きだ。おまえは、どこまで家族を不幸に陥れたいのだい」
そうか、ぼくはこのままでは家族を不幸にするなかりなのか、そう考えると、かぐや太郎の決意が揺れます。
「しかし、……」
高熱のために次第にうすれていく意識の中で、ただ桃姫に会いたいという思いがかぐや太郎の命を支えていました。
半時が過ぎました。
戸がガラリと開いて、ボロボロの着物をまとった人が飛び込んできました。
おじいさんがその人物に気づき、声をあげました。
「おお、桃姫、桃姫ではないか」
「桃姫、おまえ、けがをしているのかい」
おばあさんも駈け寄りました。
桃姫は、体中に傷を負い、額からも血を流し、体全体で大きく息をしています。
「に、兄さん、兄さんは……」
「かぐや太郎は、今朝から意識がないんだよ。しかし、うわごとでお前の名を何度も呼んでおった」
「ああ、間に合った。じゃ、これを……」
桃姫は、手に万病薬のビンをもっていました。
桃姫はかぐや太郎に近づくと、ビンの口を眠ったままの口元につけ、残った薬を口の中に流し込ました。
しかし、すべて流し込むや、力尽きた桃姫はそのままかぐや太郎の横で気を失って倒れました。
「桃姫、桃姫」
おばあさんが抱き起こそうとします。
そのときでした。
意識を取り戻したかぐや太郎は、よろよろと起き上がりました。
「おばあさん、ぼくが起こしましょう」
かぐや太郎桃姫を抱き起こし、何を思ったか桃姫のくちびるに自分のくちびを重ねました。
それは、口に含んではいたが飲み込んではいなかった薬を桃姫の口づてに流し込むためでした。
それが終わるとかぐや太郎は笑みを浮かべてその側に倒れました。
(月の使者よ、ぼくはもうこれ以上、家族を悲しませたくはない。この身をあなたにゆだねよう)
しばらくすると、桃姫が意識を取り戻しました。
しかし、さきほどかぐや太郎が寝ていた床に彼の姿はありません。
「兄さん、兄さんは、どうしたの」
おじいさんとおばあさんがおろおろとすすり泣きながら、空を指差しました。
桃姫が空を見上げると、かぐや太郎の体は横たわったまま、空中に浮かぶ光の中にありました。
桃姫はかぐや太郎を見上げて言いました。
「兄さん、薬を飲まなかったの」
「ありがとう。飲んだよ、だから意識が戻ったんだ」
「でも、全部飲まずに残りをわたしに飲ませてくれたのね。わたしバカだった。わたし、帰る途中に他の人にあげちゃったから」
「桃姫らしいよ。それでよかったんだよ、桃姫」
かぐや太郎の声もほほえみも光の中に吸い込まれていくように消えかかっています。
「兄さん、行くの?どこに行くの?」
「ボクは月から来たんだから、また月に帰らなくてはならない」
「行かないで、行かないで、兄さん」
桃姫は手を伸ばしますが、届きません。
「ごめんね。桃姫、これからもずっといっしょにいたかった。でも、ぼくたちは、そうなれない運命だったんだ」
かぐや太郎の姿は、光の中へうっすらと消えていきます。
「おじいさん、おばあさん、長い間本当にありがとうございました。お二人に育てていただいて、ぼくはとても幸せでした」
おじいさん、おばあさんは言葉を発することができず、泣きくずれています。
かぐや太郎の最後の言葉は、はっきりと桃姫に届きました。
「桃姫、本当にありがとう。桃姫、幸せにね。おじいさん、おばあさんといっしょに……。ぼくはこれからも桃姫をずっと見守っているよ」
かぐや太郎の姿がすっかりと消えてしまうと、桃姫はその場にくずおれ、夜空を見あげて泣き声をあげました。
空にはまばゆいほど美しい満月が浮かんでいました。