わたしの天職、それは愛です。
小さき聖テレジア
東京にあるマザー・テレサの修道会を訪問したときです。
壁に、「おやっ!?」と目を引く写真が1枚、ありました。
なぜ、小さき聖テレジアの写真が・・・?
それは、小さき聖テレジアが修道会に入る前、14歳くらい時の写真です。
長い金髪の彼女は、知的で美しい目をしてほほえんでいました。
なぜ、ここに、この写真があるのか?
修道会が違うのに・・・・??
と不思議に思ったのですが、しばらく考えて気づきました。
マザー・テレサの「テレサ」は、ラテン語では「テレジア」と言います。
マザー・テレサ(本名、アグネス・ゴンジャ)が、自分の修道名として選んだのは、彼女がたいへん尊敬していた、この「小さき聖テレジア」だったのです。
小さき聖テレジアは、24歳の若さで修道院のなかで亡くなった人です。
しかし、彼女が院長に命じられて書いた自叙伝は、その死後公開されるや、キリスト教国で大ベストセラーになりました。
彼女が神からさずけられ、実践していた教えが多くの人々を揺り動かしたのです。
(マザー・テレサをも・・・)
わたしの天職、それは愛
残念ながら、この本はキリスト信者でなければ、かなり読みづらいと思います。
でも、共感していただけそうなところを抜書きしてみます。
たとえば、この部分には、神様が彼女にあたえたメッセージが集約されています。
「わたしは悟ったのです。愛は、ありとあらゆる召しだしをふくみ、愛はすべてであり、愛はあらゆる時代、あらゆる場所を包含する、ひとことでいうならば、愛は永遠である、と。
(中略)
わたしの天職、ついにわたしはそれを見つけました。
わたしの天職、それは愛です。
(中略)
あなたにわたしの愛をあかすために、わたしは花びらを投げるよりほかに方法がありません。
それはつまり、どんな小さなぎせいも、一つのまなざし、一つのことばものがさずに、いちばん小さなことをみな利用して、それらを愛によっておこなうことです」
『小さき聖テレジア自叙伝』原稿B第2部
小さき聖テレジアを尊敬していたマザー・テレサも、この精神を生きていたのは間違いありません。
一方は、修道会のなかでまったく目立たずに一生を終えた人。
一方は、スラムに出て行って広く活動し続けて亡くなった人。
ふたりの行動様式はまったく違いましたが、同じ天職をもっていたのだと私は考えています。
日々の生活の中で小さなことを愛をこめておこなおう。
出典:『小さき聖テレジア自叙伝』原稿B第2部