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命をかけて
わたしを愛してくれた証し
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沼野尚美(カウンセラー)
「どうして、十字架につけられて傷だらけになったイエス・キリストなんかを拝むの?とても醜いのに・・・」
と、思われることはありませんか?
キリスト系の病院でカウンセラーをしていらっしゃる沼野尚美さんは、患者さんから、そんな質問をされることがあるそうです。
ある青年からそういう質問をされたとき、
「あのね、これは本当にあった話なんだけれどね・・・」
と前置きして、彼女は次のような話をしました。
以下は、彼女の講演でお聞きした話です。
昔、ヨシコちゃんという小さな女の子がいました。
ヨシコちゃんのお母さんは優しい人で、ヨシコちゃんは、お母さんが大好きでした。
でも、ヨシコちゃんはお母さんは、普通のお母さんと違うことが1つだけありました。
それは、顔に大きな火傷のケロイドがあること。
ヨシコちゃんは幼稚園に通うようになって気づくようになったのです。
「お友達のお母さんの顔はきれい。うちのお母さんと違う」
子どもというのは、単純で正直です。
家に遊びに来たヨシコちゃんの友達たちは言いました。
「ヨシコちゃんのお母さんの顔って、お化けみたい」
「ほんとー、お化けみたい」
そして、ヨシコちゃんは、そのために幼稚園のクラスメートからいじめられるようになります。
「ヨシコちゃんのお母さんは、お化けみたいな顔」
「ヨシコちゃんは、お化けの子・・・」
友達たちは、次第にヨシコちゃんから離れていくようになりました。
そして、ヨシコちゃんはひとりぼっちになりました。
「わたしに友達がいなくなったのは、お母さんのせいだ。お母さんがあんな醜い顔だからだ・・・」
ヨシコちゃんは、お母さんを憎むようになりました。
「お母さん、いっしょに歩かないで!お母さん、幼稚園に来ないで!」
そういうふうに言うようにもなりました。
そんな日々がずっと続いたということです。
しかし、あるときお母さんはヨシコちゃんに、なぜ自分がこんな顔になったのかを話してくれたのです。
まだヨシコちゃんが物心つくかつかないかの頃、ある寒い日のことでした。
部屋には、ストーブがあり、その上には湯の入ったやかんを置いていました。
その熱湯のやかんをハイハイをはじめたばかりのヨシコちゃんが、誤ってひっくり返してしまったのです。
幸い、お母さんがその場面を見ていました。
お母さんの体は、すぐに、ヨシコちゃんの上に覆いかぶさって、ヨシコちゃんは無傷でした。
でも、そのかわり、やかんの熱湯は、お母さんの顔に、もろにかかったのです。
その話を聞いて、ヨシコちゃんは気づきます。
「お母さんが命がけで助けてくれなかったら、わたしの方が火傷を負っていたかもしれない。わたしは、代わりに火傷を負ってくれるほど、お母さんに愛されてきたんだ。お母さんの醜い火傷の跡は、命をかけてわたしを愛してくれた証しなんだ」
ヨシコちゃんは、それ以来、お母さんを、お母さんの顔を、愛しく思えるようになったとのことです。
「わたしたちにとって十字架の傷だらけのキリストは、ヨシコちゃんのお母さんみたいなのよ」というのが、沼野さんの説明です。
本当の愛は犠牲をいとわない。
PS.ヨシコちゃんのお母さんの話を書いていて思い出したのが、昔見た、ブラッド・ピット主演の映画です。(題名は失念)
中国の闇組織に捕まった昔の恋人を救うために、無謀にもその組織に侵入、捕まり、散々拷問をされる。
なぜ侵入したか、自分は何者か、絶対口を割らない。
割れば、恋人が殺されてしまうから・・・。
結局、CIAの元上司に連絡が届き、アメリカ政府を動かし、恋人とともに救い出される。
ブラッド・ピットの体は数日間の厳しい拷問でボロボロ。
顔は腫れ上がって見るも無残。
その腫れ上がった顔の細い目で、恋人を無言で見つめたときのブラッド・ピットのなんとカッコよく見えたことか。
シビレタ・・・
しかし、彼はもともとカッコいいからかな? (笑)
本当の愛は犠牲をいとわない。