熊本在住の絵本作家の岸信子さんの講演を聴きにいきました。
感動しました。
「わたしは話すことが好きなので、誰かが止めないと、朝までしゃべっています」
とおっしゃるほどの話好きで、話上手です。
1時間余りの講演でしたが、すごく面白い、ためになる話をいっぱい聴けました。
10人の子どもをもつ絵本作家
彼女の肩書きは、絵本作家となっていますが、それよりもすごいのは、10人の子どもの母親だということです。
長男がいま23歳、一番下が幼稚園の年長さん。
七男三女の母。
でありながら、絵本を1冊、本を2冊発行、熊本県民テレビで度たび紹介され、人気沸騰。
「いま岸さんの家ではどうなってるの?」という視聴者のリクエストにお応えして、熊本県民テレビホームページ上にエッセー「信子かあさんのきょうの絵日記」を連載。
また、絵本『こちらたまご 応答ねがいます』は、アニメ化。
講演は、ふつうは子育てについて頼まれることが多いのですが、今回は、岸さんの母校の長崎外国語大学での講演でしたので、おもに学生さんたちを対象に話されていました。
「夢を追いかけて」というテーマでした。
岸さんは小学5年生の頃から、2つの大きな夢をもっていました。
1つは、本を読むの好きで、とりわけ『赤毛のアン』が大好きだったので、
『赤毛のアン』の舞台となった
●「カナダのプリンス・エドワード島に行きたい」
という夢でした。
もう1つは、書くのも好きだったので、
●「自分の本を1冊出版したい」
という夢でした。
「追いかけ続ける夢は、いつかきっと叶えられるものですよ」(モンゴメリー著『赤毛のアン』)
特に、この言葉を岸さんは大好きで、ずっと夢を追いかけていこうと思っていたのです。
岸さんは、夢を叶えるために行動をしました。
プリンス・エドワード島に行ったら、英語が話せなければならないから、英語を勉強しよう。
そう考えて、中学生になってから英語を一生懸命勉強しました。
高校になると、仲のいい友達と観光地まで行き外国人を探して、英語で話しかける練習をしました。
大学は長崎外国語短期大学に進み、休みの日になると、外国人を探し(?)を趣味としました。(幸い、長崎は観光地に外国人が多い)
ちなみに、ある日、こんな感動的なことがあったそうです。
長崎の平和公園に、一人ぽつんと外国人のおばあちゃんがいたのです。
いつものように明るく話しかけると、おばあちゃんは、とうとうと自分の身の上を話し出しました。
「日本には、愛する夫と来る予定でした。でも、夫は先日、亡くなったんです。私は、夫が行きたがっていた日本へひとりで旅立つことにしました。
日本のいろいろな有名な観光地に行きました。いろいろな素晴らしいところを見て回りました。
でも、一番うれしかったのは、いまこうしてあなたが私に話しかけてくれたことです。そして、話を聴いてくれていることです。」
岸さんは、おばあちゃんのその話をきいて、涙が出るくらい嬉しかったそうです。
「言葉は心と心をつなぐ橋なんだ」
と、ますます英語を勉強するのが好きになったのです。
大学を卒業すると、岸さんは熊本の地元の企業に就職。
何年かして、大好きな人ができて、結婚しました。
そして、次々を可愛い三人の子どもが生まれました。
幸せな生活のはず、でした。
夢を追いかけても遠ざかる日々
しかし、子育ては大変だったのです。
大好きな本を読もうと思っても、子どもが泣いていると中断しなくてはなりません。
英語の勉強をしようと思っても、子どもがちょっかいを出してジャマをします。
大好きな映画にも、コンサートにも行けません。
いつも子どもを叱ってばかり・・・。
夜、子どもたちの寝顔を見ると、しんみり反省し、
「明日からは優しい母親になろう」
と思うのですが、朝になるとまたガミガミ。
毎日、同じことの繰り返しで、ストレスが溜まるだけでした。
小学5年生から追い続けていた
●「プリンス・エドワード島に行きたい」
●「本を出版したい」
という長年の夢をあきらめていたわけではありません。
でも、お金がない、時間もない、子育てでそれどころじゃない、
そんな自分の現実の生活に落ち込みました。
ある日、尊敬する先輩ママに言われました。
「子どもって、あっという間に大きくなるの。子どもが小さくてお母さんを頼っているのは今だけよ。今が一番いい時・・・今を楽しまなくっちゃ」
(わかっているけれど、それができないのよ・・・)
と、はじめは反発していた岸さんですが、その先輩ママの言葉が転機となり、ある決心をします。
そこから、岸さんの生活は変わっていきます。
そして、岸さんの後の「奇跡」につながるのです。
岸さんは、この「奇跡」に鳥肌が立ちました。(私も・・・)
夢をあきらめない!
このお話のつづきは、こちら「夢を追いかけて(後半)」です。