病気であっても、体が不自由であっても、人は人を幸せにできる力があるように思います。
弱いところがあるからそ、できることがあるようにも思えます。
輝くものがある
体が不自由な人や知的障害者には、どこかぴかっと光り輝くものがあるような気がする。知的障害はあるが、気立てがよいとか、疑うことを知らないとか、体が不自由でも、人の痛みを素早く感じ得るとか、感受性が豊かだとか、本当に宝と言えるものを秘めている人びとが少なくないのだ」
三浦綾子著『忘れえぬ言葉』
三浦綾子さんは、若い時に生きていくことの虚無感から自殺未遂をはかり、その後、13年間闘病生活を強いられた人です。
その経験から彼女は言います。
「わたしは人の役に立たず、ただ迷惑をかけるだけの存在であった。
がしかし、この寝たきりの廃品のようなわたしを友人たちは、毎日見舞いにきてくれた。
わたしはただ話を聞いているだけだが、それだけで、見舞う人が励まされ慰められるという逆の現象が幾度もあった。
人間は品物ではない。人間は廃品ではないとつくづく思うう。」
三浦綾子著『太陽はいつも雲の上に』
自分の中に宝物をもっている
学校に勤めているとき、クラスの子どもたちを連れて、老人ホームや病院に身寄りのないご老人の慰問に行ったことが何度かあります。
そこで、劇を披露したり、お話を聴きに行ったりしました。
このようなとき、勉強の成績の振るわない子の方が不思議とはりきるものです。
ご老人たちには、いつもとても喜んでもらえました。
でも、そのご老人たちの喜んでいる姿に接して、たぶん、もっと喜んでいたのが子どもたちであり、担任のわたしでした。
わたしたちは、みな、誰かのために役立つことで生きがいを感ずるものです。
小さな子どももご老人も、身体の完全な人もそうでない人も、どんな人もすべてです。
見た目だけではよくわからないし、数字に表われることはないのでしょうが、人間には、誰かを幸せにできる特別の宝を、一人一人、もらっているのだと思います。
自分のもらったもので人を幸せにしよう。
誰でも誰かのために役立つことができます。(^.^)
【出典】三浦綾子著『忘れえぬ言葉』(小学館)『太陽はいつも雲の上に』(講談社)