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全盲のピアニスト日本人初の快挙
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2009年6月7日、全盲のピアニスト辻井伸行さん(当時20歳)が、アメリカで開催された第13回ヴァンクライバーン国際ピアノコンクール、日本人初の優勝を果たしました。
全盲でピアノが弾けるだけでもすごいことなのに、国際コンクールで優勝できるなんて、本当に天才です。
母親の辻井いつ子さんによると、伸行さんは生まれつき音に鋭敏な子でした。
掃除機や洗濯機の音にも、泣き叫ぶほど反応したのです。
いつ子さんは、普通にはいかない子育てにストレスが溜まり、全盲のわが子の行く末に不安を募らせ、本当に辛かったと思います。
そんないつ子さんに一筋の光が射したのは、伸行さんが2歳3ヶ月のときです。
クリスマスの近い日、いつ子さんが夕食の支度をしながら、何気なくジングルベルのメロディーを口ずさんでいたところ、どこからか、その歌声に合わせてピアノの音が響いてきたのです。
それは、伸行さんの1歳の誕生日にプレゼントした白いおもちゃのピアノの音でした。
弾いていたのは、驚くことに2歳のわが子。
それまでは、ピアノが好きだといっても、ただやみくもに鍵盤を叩いていただけだったのに・・・。
そのときの心境をいつ子さんはこう書いています。
「1990年12月、街中にジングルベルが流れ出した夜。
私と伸行はその日、どこに続いているかわからないけれど確かに希望の星が輝いている『音楽』という名の道の端緒についたのだと思います。
深い森のなかで伸行の手を引いてさまよっていたところ、パッと視界が開らけて細い道が遠くの丘の向こうまで続いている。
そんなシーンのなかに自分が立っているような気分でした。」
辻井いつ子著『今日の風、なに色』
それを機に、伸行さんと母いつ子さんの音楽の旅はスタートしました。
「この子がこの子らしく生きていけるように、この子の中に眠っている才能を少しずつひらいていこう」と・・・。
それから18年、辻井伸行さんの才能は世界に認められるほどに、磨かれ伸ばされ開かれていきました。
才能があったのは明らかですが、楽譜が見えないために、親子とも他の人より、違った苦労があったのは確かでしょう。
でも、辻井伸行さんは身体のことを聞かれて、こう答えています。
「目は見えなくても、心の目は見えているので満足しています」
そんな明るさと素直さが辻井伸行さんの奏でる音楽にはあるようです。
辻井伸行さんは、その後も世界中の多くの人に希望と楽しみを与える活躍をしています。
【出典】辻井いつ子著『今日の風、なに色全盲で生まれたわが子が「天才少年ピアニスト」と呼ばれるまで 』(アスコム)