「日本のヘレン・ケラー」と言われた人の言葉と生涯から、私たちが日常生活で喜びを見つけていく考え方を学んでいきましょう。
それは、不足しているものや欠乏しているものに不満をもつのではなく、いまもっているもの、いまあるものに目を向けて喜ぶという考え方です。
この考えが身につけば、いまがどんな状態であっても、喜びのある日々を送ることができるでしょう。
「ない、ない、ない」なら「喜びがない」
不満を口にする人は、たいてい「ない、ない、ない」と言います。
「時間がない」「お金がない」「才能がない」「もう若くない」「やる気がない」「自分は悪くない」・・・
たぶんこういう人は、自分には「運がない」とも言っているでしょう。
それに対して、「ある」ものを数えようとする人がいます。
今日は、普通の人より「ない」状態にありながら、「ある」ものを数えた人の話です。
三重苦であったへレン・ケラーが「私より不幸な、そして偉大な人」と語ったと伝えられる人をご存じでしょうか?
「日本のへレン・ケラー」とも言われた中村久子さんという人です。
ヘレン・ケラーよりも偉大な人?
久子さんは、明治時代、岐阜の貧しい田舎で生を受け、3歳のときに、「脱疽」のため両手両足を切断するという悲運に見舞われました。
7歳の時父を亡くし、10歳の時弟と生別、母の再婚など苦労の生活が続きました。
食べるものにもこと欠く貧しさのなかで、いずれ一人で生きていかねばなりません。
そのため、手足のない体で文字を書き、縫い物、編み物をこなすことを懸命の努力を重ねて修得していきます。
口に針をくわえて、その口で糸を通す。
糸をつけた針で、布を時間をかけて縫いあげていく。
生きていくために、そうせざるを得なかったとはいえ、想像を絶する努力の積み重ねだったでしょう。
その後、19歳のとき、娘盛りの久子さんは、見世物小屋に身売りし「だるま娘」として、人の目にさらされる生活を送ることになります。
そんな生活を送る中、1937年、41歳の時に、東京日比谷公会堂でヘレンケラーと出会います。
その時、久子さんは、口で作った日本人形を贈りました。
ヘレンケラーは「私より不幸な、そして偉大な人」と言いながら、久子さんをいつもでも抱きしめたといいます。
久子さんは50歳頃から、執筆活動・講演活動・各施設の慰問活動を始め、全国の健常者・身障者に大きな生きる力と光を与えました。
65歳の時、厚生大臣賞を受賞。72歳で亡くなりました。
久子さんは手足のない状態というのは、泥のような状態だと考えていたそうです。
しかし、晩年にはこう語っています。
「泥は“悪”だとばかり思っていたが、そうではなかった。泥があるおかげで、自分は蓮のように花開くことができたのだ」
そう、久子さんの人生は、みごとに花開いたのです!
「ある、ある、ある」なら喜びが「ある」
また、久子さんは、晩年の自分の心境を「ある ある ある」という詩に託して表現しています。
それは自分の自分の日常生活をかえりみて、ごくささやかなことを喜んでいる詩です。
良人がいる
娘がいる
短いけれど、
なんでもしてくれる手がある
ある ある ある
みんな ある
さわやかな秋の朝(も ある)
このように久子さんは、その一つ一つを喜び、感謝しているのです。
わたしも、見習って自分にあるものを数えてみます。
ある ある ある
今日も、食べるものがある
今日も、着るものがある
今日も、寝るところがある
今日も、一日という時間がある
今日も、この命がある
今日も、地球があって太陽がある
ある、ある、ある
まだ、まだ、ある
今日も、きっと誰かの笑顔に出会えるのである
あるものを数えると、わたしたちも、なんて恵まれているんだろうという感謝の気持ちがわいてきます。
自分に恵まれているものを1つ1つ見つけよう。
これもある、あれもある、いっぱいある、まだまだある。(^.^)
【出典】中村久子著『こころの手足―中村久子自伝』(春秋社)