▼三浦綾子さんの『ちいろば先生物語』という本を読んでいたら、「まばたきの詩人」と言われる水野源三さんのことが出てきました。
水野さんは9才の時に赤痢にかかり、脳膜炎を併発してその後遺症のため
に手足の自由を奪われ、ついには話すこともできなくなりました。
当初「死にたい、死にたい」と言っていた少年は、ついに言葉の自由さえもきかなくなったのです。
しかし、あるとき牧師さんが置いていった聖書を読むことで、次第に周りの人がびっくりするほどに明るくなったそうです。
▼やがて水野さんは多くの詩や短歌などを作り始めました。
お母さんが五十音表をしめし、源三さんがまばたきで合図して音を一つ一つ拾い、書き表していくのです。
●ありがとう
物が言えない私は
ありがとうのかわりにほほえむ
朝から何回もほほえむ
苦しいときも 悲しいときも
心から ほほえむ
●ひまわり
庭から切ってきた
大きな大きな ひまわりの花が
小さな小さなことに こだわる
我が心に 話しかける
かみさまの大きな大きな愛を
●心はふしぎな所
心はふしぎな所
信じるべきを うたがい
愛するべきを 憎み
のぞむべきを 落胆し
喜ぶべきを 悲しみ
心はふしぎな所
いったん主の御手にふれるならば
見たり きいたり
ふれたり しなくても
信じ 愛し のぞみ
喜ぶことができる
▼水野さんの詩には、悲しみや苦しみをうけとめながらも、
日々を前向きに生きる人の姿が見えてきます。
水野さんは、目に見えなくても愛を知り、実際にふれることがなくても
大きな愛に包まれていることを感じるようになったのです。
そして、日々、愛を感じることで、彼の心から、憎しみも恨みも消え去さり、信頼や希望や感謝の心が生まれてくるようになったのです。
▼人は愛を感じ、愛を知ることで変わります。
自分の外的なものは何も変わらなくても、内なるものが変わっていくのです。
その人の内的なものが、その人の外的なものを凌駕していきます。
▼心は本当に不思議なところです。
その人の心に満たされた愛は、喜びをともなって、外に向かってあふれ出ます。
まるで人の渇きを潤す泉のように。
水野さんがまばたきで綴った詩もその愛のあふれでだと私は感じています。
心からあふれでたその詩に、今日も、だれかが、愛の渇きを癒されるかもしれません。
愛によって内なるものが変わっていく。 (^.^)
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【出典】CD『三色スミレ -水野源三の世界を歌う1』