8月なると長崎では市民が心を一つにして平和の祈りを捧げます。
私は長崎に30年以上住んでいたので、平和への願いは一並みにあります。
もし、長崎に住んでいなれば、次にご紹介する絵本も発行することはなかったでしょう。
これは、長年の念願がかなって、平和の大切さを考え、願うクリスマス絵本です。
『1945年のクリスマス ながさき アンジェラスのかね』です。
本の紹介
この絵本は、1945年のクリスマス・イブの夜に、原子野となった長崎の街であった実話をもとにしたものです。
原爆投下後、浦上天主堂の瓦礫の中から掘り出されたアンジェラスの鐘が、戦中・戦後を通じて、初めて街に鳴りわたりました。
家族や家財産を失い、生きる望みや力をなくしていた人々が、この鐘の音を久しぶりに聞いた喜びはいかばかりだったでしょう。
この平和の喜びを伝える感動の実話を、永井隆の娘かやのの目線で描きました。
戦争の恐ろしさや悲惨さを知らない子どもたちや大人にも、「平和の大切さを考えるクリスマス絵本」として読んでほしいと願っています。
著者から
茅乃(かやの)さんは、2008年2月2日、お父さん(永井隆)の生誕100周年の前日に、以前からのご病気がひどくなり帰天されました。
神様は、天国でお父さんの100回目の誕生日を家族(母の緑さん、兄の誠一さん、そして茅乃さんら)が皆そろって祝うため、一番良いときに茅乃さんを召されたのかもしれません。
それからもずっと、私は茅乃さんと初めてお会いしたときに言われた言葉を忘れられずにいました。「現代の子どもたちにより伝わるように・・・」。
永井博士が願い、茅乃さんが受け継いだ平和への思いを、小さな子どもに伝わるような絵本を創りたいとの思いがだんだんと強くなっていったのです。
そこで、『マザー・テレサ 愛と祈りをこめて』でお世話になった、おむらさんに声をかけ、ドン・ボスコ社さんに提案しました。
何度も打ち合わせを行い、何度も原稿を書きなおし、それ以上に絵も描きなおしていただき、長い時間をかけて創っていきました。
1945年長崎で起こったこと。人々の思い。平和への願い。この絵本を通して子どもたちに、大人に、どのように伝わるでしょうか。
多くの方々の励ましとご協力に深く感謝しつつ、この絵本を天国の永井隆ご家族に捧げます。 (中井俊已)
著者紹介
■文 中井俊已(なかい・としみ)
長崎大学在学中、ローマにて聖ヨハネ・パウロ2世教皇より受洗。長崎市の精道学園で小・中学校教諭を23年間務め、現在は作家・教育評論家として執筆・講演活動を行っている。著書に『永井隆』(童心社)、『マザー・テレサ 愛の花束』『ねこ天使とおかしの国に行こう!』(PHP研究所)、『平和の使徒 ヨハネ・パウロ二世』『クリスマスのうたものがたり』(ドン・ボスコ社)など多数。人気メルマガをHP www.t-nakai.comから全国に配信中。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
■絵 おむらまりこ
目黒星美学園小学校図画工作科講師。武蔵野美術大学大学院修了。在学中より多摩秀作美術展(佳作賞)、ART BOX大賞展(遠藤彰子賞)など受賞。池田満寿夫記念芸術賞など多数出品。著書に 絵本『たいせつなおくりもの』『ヨハネ・ボスコのたいせつなゆめ』(ドン・ボスコ社)、『マザー・テレサ 愛と祈りをこめて』(PHP研究所)など。『森本千絵 うたう作品集』(誠文堂新光社)、「NODA・MAP第19回公演エッグ」などイラスト協力もしている。
ご参考まで
永井 隆 (ながい たかし)
1908年2月3日、島根県松江市生まれ。長崎医科大学卒業後、放射線医学を専攻、医学博士となる。
当時、不治の病であった結核の治癒のため、日に何百人ものレントゲン写真を撮る無理を重ねたことで白血病にかかり、余命3年と診断される。
その2か月後の1945年8月9日、長崎市浦上にて被爆。家・財産・妻を失い、右側頭動脈切断の重傷を負いながらも、医師として約2か月間被災者の救護を行う。
同年10月中旬、疎開していた二人の子、誠一と茅乃や義母と共に浦上に戻り、再建の道を歩み出すが、翌年末には病状が悪化し、病床に伏す。
寝たきりでも「書く」ことを諦めなかった博士は『長崎の鐘』『この子を残して』『ロザリオの鎖』など17の著書を出版し、恒久平和実現を広く訴えた。
1951年4月、『乙女峠』脱稿直後に容態が急変、同年5月1日43歳で永眠。