拙著『永井 隆 ―平和を祈り愛に生きた医師―』の「はじめに」から抜粋してご紹介します。
己のごとく人を愛する
長崎の原子爆弾が落とされた場所のすぐ近くに、如己堂という小さな家がいまもあります。
如己堂とは、変わった名前ですね。
でも、如己堂とこの家に住んでいた永井隆博士は意外に外国でも知られているのですよ。
数年前に、わたしが勤めていた長崎市の学校に、オーストラリアからのふたりの高校生がきたときのことです。
彼らに、「長崎のどこにいちばん行きたいですか」と聞くと、すぐに「ニョコドウ」と答えました。
彼らは、ここに住んでいた永井隆という人のことをオーストラリアの学校で習い、尊敬していたからです。
永井隆博士は心から平和を願い、平和をうったえた人です。
平和は、人を愛することからはじまるという考えをもち、まず自分から身をもって実行するように努力しました。
永井博士が住んでいた如己堂は、「己の如く人を愛せよ」という『聖書』の言葉からきています。
如己堂を訪れるとみなさんは驚くでしょう。
如己堂はわずか畳二枚一間の小さな家です。そこは永井博士の住まいであり、病室であり、仕事場でした。
永井隆博士は、あと三年しか生きられないと宣告されるほどの白血病を背負い、さらには長崎で原爆の被害にあいながらも、医者としてみんなの命を救うために力を尽くしました。
「働ける限り働こう」
自分がたおれて動けなくなってからは、
「働ける限り働こう。腕と指はまだ動く。書くことができるし、書くことしかできない」と、
如己堂でたくさんの本を書きました。
長崎、そして日本を再建し、平和を訴えるためでした。
永井博士が書いた本は人々を感動させ、歌になり、映画にもなり、日本中の人を元気づけました。
また、いくつかは外国でも翻訳されて、永井博士の思いと生き方は世界中の人々にも知られ感動を与えるようになったのです。
いま日本では、戦後六十年以上の時がたち、戦争のない平和を維持しています。
でも平穏に見える日本ですが、いじめによる自殺、青少年の犯罪、家族殺しなど、ひとりひとりの心の平和とはかけはなれた悲しい事件が相次いでいます。
物質的な豊かさとは裏腹に、精神的には弱く、どこか自己中心的な若者が育っているとの嘆きも聞かれます。
また世界に目を向けてみれば、残念ながら、いつもどこかで戦争や争い、テロ行為などが起こっています。
そのため傷つき、命をうしなう兵士や一般市民は絶えません。
住みなれた街に、あるいは自分たちの体や心に戦争の傷跡を負い、戦争の拡大におびえている人びとは大勢いるのです。
永井隆の本を書いたわけ
この本は、永井隆生誕百年を機に出版されましたが、わたしはただ博士の偉業をしのぶために書いたのではありません。
この現代社会に生きるわたしたちにとって、永井博士のメッセージや生き方をふりかえることは、これからも必要であり、たいへん有益だと思ったからです。
とりわけ未来の日本を築いていく若いみなさんに、永井博士の生涯をいっしょにたどることで、平和の尊さ、人を愛することの大切さを学びとってもらえればと願いました。
みなさんの心に勇気と感動を呼び起こし、強く優しく生きる力を育むことができれば、とても嬉しく幸いに思います。
平和は、人を愛することからはじまる。
「本当の平和をもたらすのは、ややこしい会議や思想ではなく、ごく単純な愛の力による」 (永井隆著『いとし子よ』)
出典:『永井 隆 ―平和を祈り愛に生きた医師―』(童心社)