長崎県の清峰高校が、2009年の春の選抜高校野球で優勝しました。
長崎県としては、春夏通じ初の快挙に、当時長崎県民だった私も大喜びでした。
この記事は、地方の公立高校でありながら、選抜高校野球で全国優勝という長崎県民の悲願を成し遂げた長崎県立清峰高校野球部の快挙から、夢をかなえるヒントを学ぼうとするものです。
地方にいても強くなれる
地方に住んでいても、決して悲観することはないし、劣等感をもつことはないでのす。
地方にいても、青春も人生も輝かせることはできます。
それは、自分次第です。
たとえば、地方の公立高校野球チームでも、がんばれば強くなれる。
甲子園での優勝も、夢じゃない。
それを、長崎県立清峰高校野球部は教えてくれました。
長崎県初の全国制覇
実は、この清峰高校は、都会から見れば田舎である長崎県のさらに地方にある普通の県立高校です。
しかも、数年前までは荒れた学校でした。
生徒の生活態度は乱れ、勉強はやる気なし。
2001年の春、野球部に吉田洸二監督が就任したときは、部員の数は十人。雑草が生えたグラウンド、散乱したボールやバット、覇気のない練習など、全国で戦えるレベルにはほど遠いチームでした。
県大会でも、毎年、1回戦敗退でした。
地元の選手しかいない田舎の公立高校が、わずか四年半で甲子園に初出場。
さらには、6年目に全国準優勝。とはいえ強豪、横浜高校に21-0で大敗。
それをバネにさらに強くなり、ついに九年目に初の全国制覇を成し遂げたのです。
大躍進のヒミツ
なぜ、清峰高校野球部はこんなにも大躍進を遂げたのでしょうか?
田舎の県立高校ですから、野球部だけに力を入れたわけではありません。
県外から野球のうまい子を引っ張ってきたわけでもありません。
今でも野球部の生徒も、全員が地元の子どもたちだけです。
野球部の指導については、吉田洸二監督と共に就任した清水央彦コーチ、この二人の二人三脚によるところが大きいようです。
吉田洸二監督は、物怖じせず、鷹揚で、どこかつかみどころのない性格。
信じて怒鳴らない指導で生徒の力を伸ばしました。
その一方で、清水央彦コーチは、繊細で、緻密で、実に生真面目な性格。
データの分析に長けていて、練習や試合前の準備で力を発揮しました。
たとえば、清水コーチは、技術の向上にはまずは体力が大切と考えて、清峰の名物メニュー「丸太ダッシュ」を編み出します。
5キロから7キロの丸太を抱えたまま、300メートルの距離を30本から40本走ります。だいたい2時間ほどかかったそうです。
この日本一と言われた練習量で、生徒の体力は飛躍的に向上していくのです。
以前、この清峰高校に勤めていたF先生の話から聞いたことによると、他の大きな理由の1つは、清峰高校全体の思い切った学校改革にあると私は考えています。
たとえば、学校名は、2003年から「北松南」から生徒に募集した「清峰」に改名。制服も、よりカッコいいものに変更。
そして、日々、あいさつ、時間厳守、整理整頓など徹底した生活指導がおこなわれました。
その中心的な教師のひとりだったのが、社会科担当で野球部の吉田監督でした。
たかが、生活指導と思われるかもしれませんが、この積み上げが生徒ひとりひとりの力を伸ばし、猛練習にも耐えうる強さを育てたのだと私は思うのです。
地方にいても夢はかなう
わたしたち個人も同じだと思います。
信じると力が増します。
あきらめずに、信じてやり抜くことで、必ずや強く前進していけます。
地方にいるか、都会にいるか、関係なく、あきらめずに前進していけば夢をかなえられます。
チャンスは、地方に住んでいてもあるのです。
私も地方にいながら、おかげさまで、夢であった本の出版をかなえることができました。