ご存じかもしれませんが、親から子へ幾世代も語り継がれた「三本の木」という原作者不詳の民話があります。
家庭、学校でも、クリスマスのお話の一つとして良いかと思い、原作者に感謝しつつ、私なりにご紹介させていただきます。
3本の木、それぞれの夢
昔、ある山の頂に3本の木が育っていました。
大きくなったら何になりたいか、3本の木にはそれぞれに夢がありました。
「わたしは、宝石や宝物を入れる世界一美しい箱になりたい」
「ぼくは、王様を乗せるような世界一大きく丈夫な船になりたい」
「わたしはこの山にいたい。人々が天に目を向けて、神さまのことを考えてほしいの。だから世界中で一番高い木になるつもりよ。」
3本の木は、各々、世界一美しい宝箱に、世界一大きな船に、世界一高い木になりたいという夢を持っていたのです。
3本の木、切り倒される
ある日、木こりがやってきて、3本の木は切り倒されます。
そうして、大工職人の元へと運ばれて行きました。
一番目の木は、金や銀で飾られた宝箱になりたいと願いながら、実際は、家畜のエサを入れる箱になりました。
日の当たらない場所で、家畜と共に時を過ごすことになったのです。
二番目の木は、大きく丈夫な船になりたいと願いながら、実際は、どこにでもあるような小さな漁船になりました。
湖で漁師たちがとった生臭い魚を運ぶ毎日を送ることになったのです。
三番目の木は、木こりに切り倒された時点で、世界一高い木になる夢は途絶えました。
その後も、何かに使われるわけではなく、木材小屋の隅っこに置かれたままになったのです。
何年もたって・・・
何年も何年もたちました。
家畜のエサを入れる飼葉桶になった一番目の木は、ある日、ベツレヘムという小さな村で赤ん坊を寝かせる箱として用いられました。
生まれたばかりのわが子を見て、旅姿の若い夫婦は喜びにあふれています。その赤ん坊の元に、羊飼いや遠国から博士たちが来て拝みました。天使たちの姿も見ることができました。
この時、自分は世界で一番尊い宝物を入れているのだと、一番目の木は知りました。
漁船になった二番目の木は、ある日、何人かの男たちを乗せて、湖を渡っていました。
途中、激しい嵐に遭って、男たちは恐れ、慌てふためくのですが、リーダーの男だけは平然としています。
その男が嵐に向かって「静まれ」と叫ぶと、波も風も一瞬で収まりました。
まわりの男たちの喧騒もやみ、驚きと敬いをもってリーダーの男の話に聞き入っていました。
この時、自分は天と地を治める王様を乗せているのだと、ニ番目の木は気づきました。
最後に、小屋の隅に置き去りにされていた三番目の木はどうなったのでしょう。
ある時、神と言われた男が人々に捕えられ、裁判によって、十字架刑に処せられることになりました。
三番目の木は、その男がつけられる十字架の柱となったのです。
その男が「成し遂げられた」と語り、十字架の上で息を引き取ると、大地は揺れ動きました。
この時、自分は神の救いのみ業に協力したのだと、三番目の木は悟りました。
それ以後、人々はその十字架を見る度に神さまの愛を心に刻むことができるようになったのです。
3本の木は、すべて神様のために用いられました。
神様のために役立つことで、何にも代えがたい幸せを見出していったのです。
3本の木が示すもの
この3本の木の生涯は、まるで私たちの人生のようです。
3本の木は、いつしか自分の夢が破れ、それぞれに悶々とした生活を送っていました。
世界一美しい宝石箱でなく、家畜のエサ箱として。
世界一大きな船でなく、ありふれた漁船として。
世界一高い木でなく、片隅に放置された木材として。
みじめで、情けなくて、悔しい思いを抱き、自分や人生を悲観していました。
しかし、彼らは神さまから見捨てられていたのではなかったのです。
自分が考えていたとおりではなくとも、人生に生き甲斐と喜びを見いだす道が用意されていました。
彼らは、家畜のエサ箱であったからこそ、嵐に翻弄される小船であったからこそ、片隅でずっと待っていたからこそ、役立つことができたのです。
夢に破れ、不遇や不運を嘆きたくなる時が、誰にでもあるでしょう。
しかし、神様は、どんな時でも決して私たちを見放すことはありません。
この物語を通して、神様はおっしゃるかのようです。
「思い描いた夢が叶わなかったとしても、あなたの人生は失敗でも無駄でもない。あなたのいのちは輝き、あなたの思いは永遠に満たされる」
参考:『3本の木』(いのちのことば社)
アンジェラ・エルウェル・ハント (著), ティム・ジョンク (イラスト), 津久井 正美 (翻訳)