いい話

本気になればできる(本田宗一郎)

やろうと思えば
人間はたいていのことができる
と私は思っている。

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本田宗一郎
(1906~91)
本田技研工業創業者

世界の自動車メーカーホンダの創業者本田宗一郎さんは、子どもの頃、読み書きが嫌いで苦手な劣等生でした。

ただ、機械いじりが好きでたまりませんでした。
そのため、彼は高等小学校を卒業すると、町の修理工場に丁稚奉公として就職しました。

けれども、すぐに車の修理ができたわけではありません。
彼に与えられたのはスパナではなく、雑巾一枚。
朝から晩まで工場の掃除と赤ん坊の世話が彼の仕事でした。

これが1年半も続きます。
こんな辛い状況から何度も逃げ出そうと思ったそうです。

しかし、この下積み生活があったからこそ、後で、乾いた砂漠が水を吸い込むように車の知識と技術を吸収できたのだと彼は語っています。。

そのうち自分でもっといいエンジンを創りたいと思い、28歳で定時制の工業高校に通い、機械工学の基礎を学びました。

好きなことには、納得がいくまで必死で取り組む彼は、そのうち「世界に通用する車を創りたい」という夢を語るようになります。

まわりの人は呆気にとられ笑いましたが、彼は本気でした。

町工場で働いていた学歴のない若者の熱意と努力は、みごと花咲き、彼が創った車はいま世界中を走り回っています。

やろうと思えば人間はたいていのことができると私は思っている。本田技研創立の頃は、焼けただれたような機械をもってきて再生するところから始めた。

ピストリングをつくっていた頃は、分析用の器具が買えないので、製作している工場に通い、器具をみんな自分でつくったりした。資金がないということは、結局自分で何でもやるしかないということで、私はそのとおりしたまでだ。

工場を建てるときも、自分でコンクリートをつくった。工場は一応できたが、窓ガラスがない。それもつくろうというので、割れたガラスを集めてきて釜で溶かし、凸凹のガラスだったがともかくできあがった。資金が足りない分は、知恵と労力で補えばいいのである」
PHP研究所編『本田宗一郎「一日一話」』