そのことを伝えられたら、
私は生まれてきた甲斐がある。
生きてきた甲斐がある。
病気を受け取った甲斐がある。
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阿南慈子
(1954~91)
主婦・作家
阿南慈子さんという方をご存じでしょうか。
31歳のときに思いがけず難病多発性硬化症が発病し、その10数年後天国に旅立った人です。
身体の機能が次第に失われていき、目も見えなくなり、言葉もかすかにしか発することができなくなる病気でした。
まだ幼い2人の愛児と愛する夫が彼女にはありました。
どれだけの無念さと悲しみを背負い、乗り越えてきたか、想像できないほどです。
しかし意外にも、彼女と接した人々は前向きで明るい彼女に逆に元気づけられました。
彼女が残した文章は、どれも読む人を勇気づけ、力づけるものでした。
長い間、月刊「PHP」誌に連載されてきた彼女のエッセイは、次のようなものでした。
「こんな私を見て他の人はどう思うのだろう。
ただ可哀そうと思うかもしれない。
どう声をかけたらいいのか、分からないかもしれない。
たとえ声をかけてもらっても、
『ありがとう。がんばるね』
と応える私の声は小さくて聞き取れないにちがいない。
そんな状態でも、人の心を拒むものは何一つないのだと私は思う。
病気の人はもちろん病気に悩むけれど、病気のことだけを考えているわけで
はない。
健康な人と同じように、いろいろなことを思い、たくさんの夢があり、希望
があり、また喜びがある。そのことを知ってほしい。
神様は、私をこんなにも幸せに生かして下さっている。
人の目には価値なき者に見えるかもしれない私でも、神に愛されていること
を知っているから、こんなに幸せ。
神様が全ての人をどんなに愛し、一人残らず皆の幸せを望んでおられるかを
伝えたい。
神は存在そのものであり、命そのもの、愛そのもの。
だから、人間は皆一人ひとり、その神の愛に応えなければならない。
真剣に愛をもって生きぬくことによって。
そのことを伝えられたら、私は生まれてきた甲斐がある。
生きてきた甲斐がある。病気を受け取った甲斐がある。
そして、阿南慈子である甲斐がある・・・。」
(阿南慈子著『神様への手紙』)
人は、何か大きなものを失ったときに、神様に出会うのかもしれません。
神様に出会った人は悲しみを癒され、自分が愛されていることを実感します。
そして悲しみを癒された人は、人の痛みがわかる優しい人になり、
悲しみを乗り越えてきた人は、まわりの人を勇気づける人になるのでしょう。
阿南慈子さんはそういう人でした。
私は、今も阿南さんから勇気づけられています。