小学校5年生の国語の教科書に杉みき子作『わらぐつの中の神様』が載っていました。
とてもいいお話です。
小学生の教科書には珍しく、恋愛を扱ったお話。
そして、心を込めて働くことの大切さを考えさせる物語です。
では、そのあらすじです。
『わらぐつの中の神様』のあらすじ
舞台は現代の雪国。
雪がしんしんと降っている。
小学生のマサエは、おばあちゃんといっしょにこたつに当たりながら、本を読んでいた。
明日、学校でスキーがあるのに、使ったばかりのスキー靴はびしょびしょだ。
明日までに乾かなかったらどうしようかと心配するマサエに、おばあちゃんは「乾かんかったら、わらぐつはいていきない」と言う。
マサエは「やだあ、わらぐつなんて、みったぐない」とブツブツ言う。
それを聞いたおばあちゃんが、
「そういったもんでもないさ。わらぐつはいいもんだ。あったかいし、軽いし、すべらんし。それに、わらぐつの中には神様がいなさるでね」と言う。
そして、「わらぐつの中の神様」の話を始めるのだ。
ここからが話の本筋です。
昔、この近くの村におみつさんという働き者の娘さんが住んでいた。
その彼女がある秋の日、朝市へ野菜を売りに行く途中、町のげた屋でかわいらしい雪げたを見かけ、ほしくなる。
もちろん高くてお小遣いでは買えないし、両親も買ってくれない。
そこで、自分でわらぐつを編んで、それを売ってお金を貯めようと思い立った。
一生懸命、心をこめてわらぐつを編むが、所詮はシロウト、不細工なものしかつくれない。
次の朝市のときに、野菜と一緒に市場に持っていったが、当然売れるわけもなく、がっかりしてるところ、ひとりの若い大工さんが買ってくれた。
別の日、また編んで市場にもっていくと、またその大工さんが買ってくれた。
その次の市でも、またその次も‥‥。
いつしか大工さんの顔を見るのが楽しみになっていたおみつさんなのだが、こんなにも続けて買ってくれるのが不思議でもあった。
そこでとうとうある日、おずおずとたずねてみた。
「おらの作ったわらぐつ、もしかしたら、すぐいたんだりして、それで、しょっちゅう買ってくんなるんじゃないんですか」
すると、大工さんはにっこりして答える。
「いやあ、とんでもねえ。じょうぶで、いいわらぐつだから、仕事場の仲間や近所の人たちの分も買ってやったんだよ 」
そして、まじめな顔で言う。
「いい仕事ってのは、見かけで決まるもんじゃない。使う人の身になって、使いやすく、じょうぶで長持ちするように作るのが、ほんとのいい仕事ってもんだ。おれなんか、まだ若造だけど、今にきっと、そんな仕事ができる、いい大工になりたいと思っているんだ」
ふだん無口な彼がとうとうと語った後、いきなりしゃがみこんで、おみつさんの顔をみつめながら、言う。
「なあ、おれのうちへ来てくんないか。そしていつまでもうちにいて、おれにわらぐつを作ってくんないかな。」
しばらくして、それが、およめに来てくれというだと気がつくと、おみつさんの白いほおが夕焼けのように赤くなる。
それから、若い大工さんは、言う。
「使う人の身になって、心をこめて作ったものには、神様が入っているのとおんなじだ。それを作った人も、神様とおんなじだ。」
おばあちゃん話が終わって
話が終わってからマサエは、遅ればせながら、そのおみつさんというのがおばあさんのことだと気付く。
そして、その大工さんとは、おじいちゃんのことだとも・・・。
おばあさんは、「お嫁に来ると、すぐおじいちゃんが買ってくれたんだよ」と大事にしまってある雪げたを取り出してくる。
それを見てマサエは言うのである。
「おじいちゃんがおばあちゃんのために、せっせと働いて買ってくれたんだから、この雪げたの中にも神様がいるかもしれないね」
使う人の身になって
「使う人の身になって、心をこめて作ったものには、神様が入っているのとおんなじだ」
この若い大工さんの言葉は、実に意味深いと思います。
人のことを一生懸命考えて、心をこめて働き、そうして生まれたもの。
食べ物。衣類。何かの品物。掃除をしたあとの部屋など。
そこには、神様がいらっしゃるのかもしれません。
人のことを思って、なされたこと。
小さな親切なおこない。ちょっとした温かな言葉。笑顔のなかにも・・・。
神様は、わたしたちのすぐ近くにいらっしゃるのです。
使う人の身になって、心をこめて・・・。
出典:杉みき子作「わらぐつの中の神様」