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祈り~他人の幸福を願う~
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祈り、について書きます。
忙しく立ち働き、ふと自分を見失いがちな現代人にとって、必要なものは、一日わずかな祈りの時間ではないかと私は思います。
宗教は問いません。
祈るという行為は人間を人間らしくする大切なものだと思うのです。
祈りは本来、神との対話ですが、他人の幸福を願うとき、相手への祈りとなって私たちの口にのぼるものです。
「ご健康を祈ります」「ご回復をお祈りします」などと挨拶をすることがありませんか。
それは多くの場合、相手を思いやる心から生まれてくる言葉です。
それも祈りです。
高校野球の応援席に女生徒が一心に手を合わせる姿を見掛けることがあります。何を祈っているのでしょうか。
「勝たせてください。お願いです。お願いです」
そう心の中で叫び繰り返しているように思えます。
それも祈りです。
私の友人は、子どもの出産を待つ病室の外で、ソフア-に腰掛け、あるいは立ち回りながら、何度も同じことを願っていたそうです。
「五体満足で生まれてくれ。母親も無事でいてくれ………」
それも祈りです。
愛する人のため、家族のため、あるいは自分のために、人は自然と祈りを発するものがです。
人を愛する心と自分の力の限界を知る謙虚さがあるとき、人は祈ることができるのです。
それは多くの場合、他人の幸福を願う心から生まれるのです。
以前、小学1年生のお母さんからいただいた手紙の一部です。
「学校で今月のモット-は『親孝行』だから、僕はパパとママのためにお祈りするよ』と言って毎朝、お祈りをしてくれています。
遠い学校に通っているので、毎朝、子供を見送りながら『今日も楽しい一日を過ごして無事に帰って来ますように』と親の私達が願わない日はありませんが、子供の方から私達のためにお祈りをしてもらえるとは考えてもいませんでした。とても嬉しいことです」
マザ-・テレサは言いました。
「今や、皆が忙しそうにしています。他の人に与える時間がないみたいです。
親は子に、子は親に。そして夫婦同士。
愛は、どこから始まるのでしょうか。
私達の家庭からです。
いつ始まるのでしょうか。
ともに祈る時に始まります。
ともに祈っている家族は崩壊することがありません」
いま、わたしたちに必要なのは、誰かのために、祈ることではないでしょうか。
遠いあの人と身近なその人のために祈ろう。