いい言葉

「しっぽもひと役」(永井隆)の意味~役に立たない人はいない

自分なんか、役に立たないと思っている人へ

あの人は、役に立たないと思っている人へ

今日の言葉を贈ります。

しっぽもひと役

永井隆博士が遺した書画にブタの絵があります。

その絵に添えられた「しっぽもひと役」という言葉。

長い間、どういう意味かわかりませんでしたが、先日、娘のカヤノさんのお話をきいて、なるほどと思いました。

カヤノさんがまだ幼かった頃です。

白血病で寝たきりの永井博士は、娘と遊んでやることもできないので、よく絵を描いてやりました。

「着物は買ってやれんから、絵を描いてやる」ときれいな着物を着たカヤノさんを描いてくれたそうです。

カヤノさんは、幼心に「本物の着物の方がいいのになあ」と思ったそうです。

さて、あるときはブタの絵を描いてくれました。

永井博士は、絵も字もじょうずでしたが、その絵はどうしてもブタに見えません。

首をひねりながら絵をながめていたカヤノさんが気づきました。

「あっ、おとうちゃん、しっぽがないよ」

それで永井博士も気づき、すぐに、しっぽ一本を描きくわえたのです。

すると、不思議。

その絵はたったそれだけでブタになったのです。

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いまの自分にも何か役目がある

しっぽというものは、おしりの先にくっついてブラブラゆれながら、何をするということもありません。

目のように見ることはありません。

口のように物を食べることもありません。

足のように体を支え、歩むこともありません。

でも、しっぽにはしっぽの役目があったのです。

「しっぽもひと役」

永井博士は、原爆に倒れ寝たきりになった自分をそれ以来、世の中の「しっぽ」みたいだと考えるようになったのでしょう。

ブタのしっぽのように、この自分にも何か役目があるはずだと考えるようになったのです。

そして、その役目を積極的に果たそうと考えるようになったのです。

「この世になんの用事もないものが生かされているはずがありません。

どんな病人でも、何かこの世において働くことができるから、生かされているのでありましょう。

私は、命の最後の一瞬まで、いろいろ工夫して、何か働く事を見つけて働こうと思います。」

永井隆著『如己堂随筆』(サンパウロ)

人の目にどう写ろうとも、いま生かされているわたしたちには、一人ひとり、何かの役目があるのです。

存在するだけでも、誰かに働きかけ、役に立っているかもしれません。

永井隆について

1908年2月3日、島根県松江市生まれ。長崎医科大学卒業後、放射線医学を専攻、医学博士となる。

当時、不治の病であった結核の治癒のため、日に何百人ものレントゲン写真を撮る無理を重ねたことで白血病にかかり、余命3年と診断される。

その2か月後の1945年8月9日、長崎市浦上にて被爆。家・財産・妻を失い、右側頭動脈切断の重傷を負いながらも、医師として約2か月間被災者の救護を行う。

同年10月中旬、疎開していた二人の子、誠一と茅乃や義母と共に浦上に戻り、再建の道を歩み出すが、翌年末には病状が悪化し、病床に伏す。

寝たきりでも「書く」ことを諦めなかった博士は『長崎の鐘』『この子を残して』『ロザリオの鎖』など17の著書を出版し、恒久平和実現を広く訴えた。

1951年4月、『乙女峠』脱稿直後に容態が急変、同年5月1日43歳で永眠。