エレナ・ポーター著『少女パレアナ』という本を読んでみました。
面白かったです。元気がでてくる本です。
あなたもきっと前向きな気持ちになり、ハッピーになれるので、ご紹介します。
少女パレアナの楽しいゲーム
母親も父親も亡くなって孤児となったパレアナは気難しい叔母さんに引き取られます。
パレアナを引き取ることを喜ばない叔母さんは、パレアナに殺風景な屋根裏部屋をあてがったりして、冷たい対応をします。
でも、どんな事からでも喜ぶことを見つける「喜びさがし遊び」で、パレアナは、いつもハッピー。叔母さんのその頑な心を次第に溶かしていきます。
やがてその遊びは、パレアナに接するまわりの人、街全体に広がっていくのです。
その「喜びさがし遊び」とはどんなのものか、と言いますと、毎日の生活のなかで、いつでも、どこでも「喜び」をさがすだすというゲームなのです。
そもそも、なぜ、パレアナがそのゲームをするようになったかというと次のようなわけです。
あるときパレアナが、人形を欲しがったので、牧師の父親が教会本部に送ってくれるように頼みました。
ところが、人形が来ないで、代わりに松葉杖が来てしまったのです。
パレアナは泣きました。
「あたしはお人形さんが欲しいのよ。松葉杖なんかいらないわー」
でも、このとき父親が教えてくれたのです。
「これは、うれしいことなんだよ」
「どうして?どうして、うれしいことなの?」
「だってね、君は歩ける足がちゃんとあって、松葉杖を使う必要はないだろう。それは、うれしいことじゃないか」
「え?」
「あのね、聖書の中に、『喜びなさい』『楽しみなさい』っていう言葉が何回出てくるか知っているかい?」
「知らないわ」
「お父さんも知らなかった。だから、数えてみたんだ。すると800個も出てきたんだよ。つまり神様はね、それだけ私たちが喜んでほしいということだ。私たちが喜ぶことを喜ばれるんだよ」
「あたしも、喜んでいたいわ」
「じゃあ、今日からお父さんとゲームをしよう。これは、喜びをさがす遊びだ」
パレアナは目を輝かせました。
「喜びをさがす遊び?どうやって遊ぶの?」
パレアナ、どんどん喜びを見つける
お父さんは、うれしそうに答えました。
「いつでも、どんなときでも喜びを見つけるんだ。喜びをさがしだすのが難しければ難しいほど面白いゲームだよ」
それ以来、パレアナはずっとこの遊びをやります。
たとえば、実の叔母さんから、屋根裏部屋の飾りのない部屋に住まわされたときも、最初はちょっとがっかりしていましたが、
「鏡がないから、顔のソバカスをみなくてうれしい」
「絵が掛かっていないけれど、窓から見える景色、木や家や教会の塔や、それに川が流れているのが絵のようじゃない。
あんないい景色があったら、絵なんかみないでいいわ。
叔母さんがこの部屋をくださってうれしいわ」
というように、次々と喜びを見つけていくのです。
毎日の生活のなかに喜びを・・・
このパレアナのように、明るくて前向きな人って、喜びをみつけるのが習慣になっているのではないかと思います。
わたしたちも、自分の毎日の生活のなかに喜びを見つける遊びをしましょう。
たとえば、
今日、朝食のとき、食パンがやわらかったので、イチゴジャムをつけておいしかったとか・・
図書館に予約していた本が2冊も届いて借りられて、うれしかったとか・・・
窓の外の雨が上がって、青空が見えてとてもきれいだとか・・・
いま、このブログを読んでくださる人のことを思い浮かべながら書くことができてうれしいとか・・・
お腹がへって、次のご飯が楽しみだとか・・・(笑)
こんな小さな喜びって、探せばたくさんあるのです。
今日の喜びをいっぱい見つけよう。
出典:エレナ・ポーター著『少女パレアナ』