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「崖の上の野菊」
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ちょっと泣ける話、かもしれませんので、なるべくお一人のときご覧ください。
崖の上の野菊
私が勤めていた学校ではありませんが、ある小学校に養護教諭のA先生がいました。
彼女の保健室には、学校に来るとすぐにお腹の痛くなる子や頭の痛くなる子がよくやってきました。
「授業がわからない」
「おもしろくない」
と、その子たちは言います。
なかでも小学4年生のKくんは、A先生が最も気になる子でした。
「おれ、バカだから・・・」
「おれ、ダメだから・・・」
それが彼の口ぐせでした。
その度に、A先生は、
「あなたは、バカじゃないよ。ダメじゃないよ。いい子だよ」
と言ってあげるのですが、Kくんはうつむいているばかりです。
Kくんの心にどうしても入り込めない、それがA先生の悩みでした。
Kくんは、夜の勤めしているというお母さんと二人暮しでした。
学校を転々とし、A先生の学校にも1カ月前に来たばかりでした。
体は細く、着ているものは、毎日同じ。
クラスの皆からは臭いと言われ、勉強では、掛け算九九やひらがなの文字まで時々間違えました。
陰でいじめを受けているようでしたが、Kくんは、はっきりそうだとは言いません。
ある日、Kくんが教室で爆発しました。
クラスメートに母親の悪口を言われて、ついに押さえきれなった彼は、椅子を持ち上げ振り回して、何人かの子にケガを負わせたのです。
ケガはたいしたものではありませんでしたが、その子らの親たちは騒ぎ立てました。
教室で暴力をふる子やそんな子を育てた親も、絶対に許しておけない、というすさまじい剣幕でした。
結局、Kくんとお母さんは、その学校に居ることができなくなりました。
別れの日、Kくんは教室には行かず、A先生の保健室にだけやってきました。
手には新聞紙に包んだ野菊をもっていました。
新聞紙からは土をつけた細い根っこがはみだしています。
「学校に来る途中の崖の上に咲いとったんよ。きれいだなって思って、前から、先生にあげたかったん・・・」
「わたしに? どうもありがとう」
A先生がきょとんとしているのを、Kくんは勘違いしたのか、うつむいたまま言いました。
「おれ、大人になって、お金もらえるようになったら、もっといい花、買ってあげる」
「何いってるの、これが一番、いい花だよ」
KくんがA先生の顔を見上げました。
「先生も、この花、好き?」
「うん、好きだよ。Kくんがくれる花は、みんな好きだよ」
Kくんは、またうつむいてしまいました。
床に、ぽとりと涙が落ちました。
いじめられても、暴れても、人前で泣かなかったKくんが初めて見せた涙でした。
「先生、おれ、ダメな子じゃない?」
「ダメな子じゃないよ。いいところいっぱいあるよ」
A先生は、しゃがみこんでKくんの涙で濡れた頬を両手で包んであげました。
Kくんの瞳は、眩しいくらい輝いていました。
「先生、おれ、これから、ちゃんと勉強して、母ちゃんに心配かけないようにする。それで、先生みたいな、看護婦さんみたいな人になる」
「看護婦さんみたいな人?(笑)うん、なれるよ。絶対なれる」
Kくんの細い体を抱き寄せると、A先生の目からも涙があふれてとまりませんでした。
それ以後、A先生はKくんに会っていません。
でも、A先生は、Kくんのくれた野菊を押し花にして、ときどき取り出しては眺めます。
そして、その度に、Kくんもお母さんもどうか元気でいますようにと
そっと心で手をあわせるのです。
私は、この話の登場人物たちにあったことはありません。
でも、彼らのような人たちは、私たちの身近にもいるのではないかと思っています。
ときに私たちも、一つの花や一つの言葉を通して、心にいつまでも残る大切なものを与え与えられているのだと思うのです。