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不幸のドン底が幸せの始まり
(フジ子・ヘミング「奇蹟のカンパネラ」
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人の運は晩年になって花開くこともあります。
そんな希望のもてるお話です。
魂のピアニストと称され、活躍中のフジ子・ヘミングさんは、6歳からピアニストのお母さんからピアノを習い始め、次第に天才少女と騒がれるようになります。
17才でソロのコンサート・デビュー。
東京芸大に進み、数々の音楽賞も受賞し、将来は約束されたものだと思われていました。
その後、ドイツへの留学を試みるも家族の問題で国籍がとれず、「避難民」として30才でドイツ留学をします。
彼女の演奏に感銘を受けた世界的な音楽家バーンスタインからの支持があり、デビューできることになります。
しかし、大きな不幸がフジ子さんを襲います。
リサイタル直前に、風邪が原因で両耳が全く聞こえなったのです。
その後の演奏会はすべてキャンセルを余儀なくされ、次第に音楽界から忘れ去られていきます。
そして、食べるのにも困る日々が、またずっと続きます。
1995年、母親の死去を機に30年余りの外国生活に終止符を打ち、帰国します。
2年間ほど全く聞こえなかった耳は、左だけが40%回復。日本で細々とコンサート活動をする日々が続きました。
ところが奇蹟のような出来事が起こります。
1999年2月11日に、フジ子さんのピアニストとしての軌跡を描いたNHKのドキュメント番組、ETV特集「フジ子~あるピアニストの軌跡~」が放映され大反響を巻き起こしたのです。
「フジ子さんの演奏をもう一度聴きたい」という高校生から80才以上の1,000を超える視聴者の要望に応え、急きょ異例の再放送が何度もされました。
1999年8月25日にはデビューCD「奇蹟のカンパネラ」 (カンパネラとは、イタリア語で「(鳴り響く)鐘」という意味)を発売。
これまでのクラシックCDの記録を塗り替え、54万枚を売り上げました。
こうして、フジ子・ヘミングさんの音楽人生は、人生の晩年になって、花開きました。
彼女は著書に中でこう言います。
「目の前にある現実だけを見て、幸福だとか不幸だとか判断してはいけない。その時は不幸だと思っていたことが、後になって考えてみると、より大きな幸福のために必要だったということがあるの」
フジ子・ヘミング著 『フジ子・ヘミング 運命の力』
フジ子・ヘミングさんの演奏が人の心を打つのは、彼女不幸のドン底を乗り越えてきたからでしょう。
あのときの不幸はより大きな幸福のために必要だった、そんな日があなたにも来るかもしれません。
いまどん底でもあきらめないようにしよう。
あなたにも幸福がまっています。(^.^)