「どじょうがさ 金魚のまねすることねんだよなあ」 相田みつを
▼2011年、野田佳彦氏が首相となったとき民主党代表選の演説で引用した言葉です。
相田さんのこの作品を「大好きな言葉」として紹介した野田氏は、自身をドジョウにたとえ、
「(ドジョウは)金魚のまねをしてもできない。
泥臭く国民のために汗をかいて(略)ドジョウの政治をやり抜きたい」
と述べたとのこと。
このため、普段は全然目立たない「ドジョウ」に、こと時だけは人気が集まりました。
そこで、ドジョウの思い出話をします。
▼当時、私は小学1年生の担任でしたが、学校の運動会の出し物で「安来節」(ドジョウすくい踊り)をすることになりました。
ドジョウは、童謡「どんぐりころころ」にも出てきます。
♪どんぐりころころ どんぶりこ
お池にはまって さあ大変
どじょうが出て来て 今日は
ぼっちゃん一緒に 遊びましょう
どんぐりころころ よろこんで
しばらく一緒に 遊んだが
やっぱりお山が 恋しいと
泣いてはどじょうを 困らせた♪
歌や絵本では知っているでしょうが、実際にさわったり、捕まえたりした子は、どれくらいいるのだろう。
そう思って、クラスの子どもたちに
「本物のドジョウ、見たことありますか?」
と聞くと、ショックでした。
見たことのある子がほとんどいません。
触ったことのある子もいなかったのです。
私が子どもの頃は、ドジョウは学校の行き帰りの道に川や田んぼにいくらでもいたものなのに・・・。
▼そこで、その日の放課後、ドジョウを探しにペットショップに走りました。
ところが、金魚やコイは売っているのですが、ドジョウを売っている店はなかなかありません。
ようやく何軒目かでドジョウを置いている店を見つけ、値段が分からなかったので、店長さんに尋ねると、「そいは売り物じゃなかばい」と言われました。
ドジョウは金魚のエサの食べ残しも食べるので水槽の掃除屋として飼っているとのことです。
しかし、私の落胆した表情に何かを察したのでしょう、
「そんドジョウ、どがんすっと?」(標準語に訳すと、「そのドジョウ、どうするの?」)
と聞かれました。
「実は、子どもたちに見せたいんです」と説明すると、
気のいい店長さんで、
「そいはよか話ばい。値段はあんたがよかごと決めて、全部もっていかんね」
(「それはいい話だ。値段はあなたが適当に決めて、全部もっていっいきなさいよ」)
と言ってくれました。
▼その日からドジョウたちは、わが1年生教室の水槽へ。
子どもたちは目を丸くして大喜び。
教室でドジョウとともに生活することができました。
もちろん運動会の出し物、「ドジョウすくい踊り」の練習にも気合が入り、本番もバッチリでした。
▼さて、ドジョウと金魚を同じ水槽で飼うという経験から、その両者の違いがわかってきたことあります。
・金魚は色鮮やか、ドジョウは地味。
・金魚はえさを先に食べる、たいていドジョウは残りを食べる。
・金魚の動きは優雅、ドジョウの動きはひょうきんに見える。
まったく違います。
鑑賞用としては、金魚が圧倒的な人気です。
でも、ドジョウも飼ってみると、ユーモラスでかわいいし、残り物のエサでも喜んで食べてくれるし、水槽をきれいにしてくれます。
金魚にドジョウの代わりはできないのです。
▼相田みつをさんは、
「どじょうがさ 金魚のまねすることねんだよなあ」
と詠いました。
そうですね。
金魚に金魚の良さがあるようにドジョウにはドジョウの良さがあるんです。
ドジョウは、ドジョウだから愛されるのです。
▼さて、私たちも同じではないでしょうか。
人間はひとりひとり違います。
それぞれに、いいところがあります。
みんな違って、みんないいのです。
それでいいのです。
▼花にたとれば、桜のような人もいる。
バラのような人もいる。
たんぽぽのような人もいる。
桜がバラさんのように花屋さんで人気者になりたいと思っても無理。
バラがたんぽぽさんのように自由に綿毛を飛ばしたいと思っても無理。
たんぽぽが桜さんのように私の下で宴会してもらいたいと思っても無理。
▼他人をマネしてようとしても、できないことってあるんです。
マネしない方がいいこともあるんです。
自分らしさを受け入れた方がいいこともあるんです。
自分のままで、OKです。
いまの自分のいいところを見つけましょう。
自分にもいいところがあることに感謝しましょう。
そして、無理せず自分らしく生きたほうが、きっと楽しいですよ。
自分のままでいいことがありますから。(^.^)
・・・・・・・・・・・・
【出典】相田 みつを著『おかげさん』
ドジョウが注目がされているおかげで、この本も人気復活だそうです。