シスター渡辺和子さんは、マザー・テレサを除いてたぶん日本で最も著名なシスターだったでしょう。(2016年12月に89歳で帰天)
晩年にはエッセー集『置かれた場所で咲きなさい』がミリオンセラーになりました。
彼女はどのような生涯を送ってきた人だったのでしょう。
シスター渡辺和子さんとは
お父さんは、二・二六事件(1936年)で殺害された教育総監、渡辺錠太郎氏。
事件当時、9歳だった彼女は、わずか1メートルのところで、父親が銃弾に倒れるのを目の当たりにしたご経験をもちます。
その辛い体験を心に抱えながら成長し、大人になってキリスト教の洗礼を受け、29歳でキリスト教のナミュール・ノートルダム修道女会に入会しました。
修道会に入ると、すぐアメリカに派遣され、帰ってくると岡山の大学に派遣、翌年には学長になれと言われます。
まだ終身請願前なのに、これまでのアメリカ人学長の半分の年齢(36歳)で、卒業生でもなく、地元出身でもないのに大役をまかされたそうです。
当時は、周囲からの風当たりも強く、大変な苦労をすることになります。
初めての土地、思いがけない学長と言う役職、未経験の事柄の連続。
「こんなはずではなかった」という思いとともに、いつのまにか、「くれない族」になっていたそうです。
「あいさつしてくれない」、こんなに苦労しているのに、「わかってくれない」「ねぎらってくれない」「・・・・ああしてくれない。こうしてくれない….」など。不平不満に悩まされるようになったのです。
自信喪失になり、修道院を出ようかとまで思いつめていた時、ある英語詩に出会いました。
「置かれたところで咲きなさい」
この詩との出会いが彼女を変えていきました。
置かれた場に不平不満を持ち、不幸になっていては、環境の奴隷でしかない。
人間として生まれたからには、どんなところに置かれても、そこで環境の主人となり、自分の花を咲かせようと決心することができたのです。
人が何もしてくれないと嘆くのではなく、自分から与える人になろう。
そうして自分からあいさつし、お礼を言い、お詫びをし、人をほめる人間に変わっていこうと努力したとき、周りの人も受け入れてくれるようになったそうです。
その「置かれたところで咲きなさい」という詩です。
「置かれたところで咲きなさい」
神が置いてくださったところで咲きなさい。
仕方ないとあきらめるのではなく、
「咲く」のです。
「咲く」ということは、
自分がしあわせに生き、
他人もしあわせにすることです。
「咲く」ということは、
周囲の人々に、あなたの笑顔が
私はしあわせなのだということを、
示して生きることなのです。
神がここに置いてくださった。
それは素晴らしいことであり、
ありがたいことだと、
あなたのすべてが、語っていることなのです。
置かれているところで精一杯咲くと、
それがいつしか花を美しくするのです。
神が置いてくださったところで咲きなさい。
(ラインホルド・ニーバー)
わたしたちも、いまいる場所で花を咲かせましょう。
辛いときがあるかもしれません。
苦しいとき、悲しいとき、悔しいとき、泣きたいときもあるでしょう。
不平不満を言いたくなるときがあるでしょう。
でも、そういうときでも、花を咲かせようしていれば、根は見えないところで、ぐんぐん成長していくのです。
そして、そのおかげで、いずれあなたは美しい花を咲かせます。
【出典】渡辺和子著『置かれた場所で咲きなさい』